カミのイにソイ、ワクをイデ、イキにイキるは
国を動かしているのはタミでもオミでもなく、"カミのイト" なのだな、と思いました👇
やはり、創めのときから。
ずっと「いよいよ」と聞いてきましたが(笑)、宇宙情報などからも、「グノーシス主義的転回」で、いよいよ現代社会の盤の片側が持ち上げられるような氣配は漂っていると感じます。
ただ、これだけ大きな盤ですし、0度から持ち上げるときが一番負荷が高いので、周到に段取りして、段階的に準備を進めている、ということなのかなと思います。
盤上で見ている限り、なにも変わっていないように見えるけれど、そこから片足でも降りて外から見てみた人には、盤の片側にたくさんの色んな手が掛かっているのがきっと見えている。
ただ、持ち上げ始めたときに盤が粉々に崩壊しないように、方々のバランスを調整しながら、ゆっくり慎重に、進んでいるのかな。
数年前の何某かの合図のあと一斉に、すでに力は掛かっているのかも?
盤の上に戻ると氣づきにくいけど。
一度、盤の外に出て見てみては?と、できる限り多くの人に声をかけていこうと、地道な活動をしていますが、安住を望む人は意外なほど多かった。
でも、その意味、理由も今は分かるので、無理はしない。
長年暮らして概ねの役割を終え、慣れ親しんだ、安心で居心地の良い世界にずっと居たいのだ、という人には声はかけづらいし、かけないかもしれないけれど、きっとそれはそれでいい。
この世がすべてではない。
現に、離れて暮らす年老いた両親には、地震の備えで自分たちでできそうなことは勧めているし、
ワクチンのことは、「元氣な免疫機能が十分働いてるから余計なものは私には必要ない。」と頑なに主張しているけど、それくらいに留めている。
恐れに囚われたまま、「次も受ける」と聞いても、わたしのこの件の事の捉え方が決まった後半からは余計なことは何も伝えないようにした。彼らは受ければ大丈夫と信じていたのだから。
わたしの頑なさはしっかりと遺伝子で受け継がれたものだという証。
幸いなことに、その頑なな信念の力で、わたしにも両親にも、大した健康被害は起きていない。
(腕が痛いなどの一般的な軽度の副反応のみ。この間、風邪の一つも引いていない。強いて言えば疑っていたわたしのアトピーが酷くなっただけ。)
ちなみに、
"長期的に見たら分からない" などの見解は、いまのわたしには無粋なものでしかない。
家族でただ一人、頑なに摂取を拒んだわたしに、江戸っ子気質の父は言った。
「粋がるな!」
口答えせずに腹の中で呟いた。
「イキがって何が悪い。あなたの血だ」
氣がついたら余計なことを書いていましたが、今日も書いておきたかったのは未来のことで、済んだことではありませんで(笑)
ところで、
このところの歴史の学び直しから、
"神" という言葉も再考しなければと思っています。
余計なことを書いていたら時間切れになりましたので、また次の機会に書きたいと思います。
与太話にお付き合いくださりありがとうございました。
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