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やおよろず まを とりなして やまとなす


おさなごの

いさかいみるやに

ふかんする

われらやまとに

ならんとぞおもふ




どの児にも
いい分がある

対立するかぎり
どちらにも

親という漢字は
よくできている


あの大きな悪戯児らも
それに耐えぬく我らも

神(創造主)からみれば

どちらも ひと(等・人)しく
どちらも ただ(正・只)しい

わ の次元の
みこころもつ
大いなる
わ(和・我・輪)の 人から

だれかが「悪」だと言う事も
だれかが「善」だと言う事も

みな掌でまるめて
みずにながさん


いさかう児らの
まなびをたたえ
ただ あいさん

そこから児らは
わの次元を
まなぶのだから

われらこそいま
それをしめさん


すべてを すべる
すべが ある

これをもちいて
わ をなさん



わ のこころもつ
わ のひとらの
わ のゆめが

わ のほしと
この宇宙で

最初で 最後
おわりで はじまりの

わ ゐ ゑ を う

のかね(神音)、ならさん


ことばにするなら

「まぁ まぁ、よし よし。」

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