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『雪の女王』へ至る氷のサーガ、アナと雪の女王2

いやぁ、アクション良し歌良しのいい映画でしたねぇ。
noteでは今までいくつか記事を書こうとしては中断してしまっているのですが、せっかくなのでアートブックが届くまでの期間に何とか書き上げました。
特に目次の2は原作が好きな人の幻覚です。お好みで飛ばしてください。
ネタバレあります(原作は各自で読んでおいても読まなくても大丈夫ですが、この文はあくまで一ファンの主観です)。

1.ミュージカル調アニメーションとしての進化

さて、『アナと雪の女王2(Frozen2)』素晴らしかったです。前作の日本公開から5年経っているとは思えないほど、地続きの興奮を呼び覚まされた映像化作品でした。

アレンデール王国の平和な日々は今までの短編で享受するとして、時は流れ、新たな試練!というロードムービーだった2。
一人一人の心情に大きな掘り下げが入るこのストーリーを、歌パート無しで高クオリティに仕上げようとするとおそらく尺が不十分だったり、溜めのシーンでやきもきし過ぎることになると思うんですよね。
今作はそこを楽曲と映像のドライブ感で突っ走って行くので物語の山場と鑑賞側のぶち上がりグラフが同期する事となり、終盤の展開には大いに心を揺さぶられました。

会話パートで滲み出ていた登場人物の心情や言動が積み重なり歌パートで爆発する、という導線は前作を踏まえてさらに練られているし、どの曲も素晴らしかった。
クリストフPVは笑い声を抑えるのが大変だったし、逆にオラフパートは字幕も吹き替えも一挙一動に子供の笑い声が聞こえてきたり。

1は終盤の緊迫した局面に歌を用いませんでしたが、2はこの遣る方ない気持ちこそ歌わねば!と気持ちを奮い立たせるような使われ方をしていたのも、楽曲に高い信頼を感じられて良かったです。

また、初見時は主題歌の「Into the Unknown」が思ったより早めに披露されたのも驚きましたね。
その上で、エルサが真に後ろめたさのない心情を爆発させる「Show Yourself〈みせて、あなたを〉」を映像的にもシナリオ的にも後半の一番濃密なシーンで炸裂させた時のカタルシスは凄まじく、前作の経験を見事に昇華させたと言えるのではないでしょうか。

前作でヒットした「Let it go」には、捨て鉢になりながら心は解放されていく序盤のエルサと、フィナーレで寄り添う人々の信頼を歌ったエンドソングという2つの軸があり、姉妹によるリプライズ曲などの仕掛けも大いに私の心を掴みました。
今作もそれを乗り越えるかのように、歌ものでエンタメ作品を魅せるノウハウが随所に詰まっていて嬉しい限りです。

2.ディズニーによる『雪の女王へ』の挑戦

この項目はさらに個人的な旨味の羅列になっていきます。
あと原作の名詞も説明なくガンガン使います(自我とコンテンツが癒着しているので)。

再び立ち現れる世界観

「前作で『雪の女王』から現代の美しい映画が生まれた!と喜んでいたら
今作でアナとエルサの物語が『雪の女王』らしさをど直球で結実させた」
これが総括でしょうか。
主要な追加キャラが精霊やノーサルドラだったのも地域性込みで共通項があるし、その上で、世界観を広げることとなった王族の姉妹という設定の見事な終着点(一応)を見ることができて本当に脱帽。

公開前に何本か手持ちの『雪の女王』映像化作品を観ていたのですが、アナ雪2鑑賞中に「こ...この方向性は......!この表現は心当たりが...!!」となり、1で原作から上手く華やかにアレンジしたな~と思っていた点が純化して畳み掛けて来たことに戸惑い、涙しました。
そもそも前作から成長した姿と言うだけで原作ファンとしてはグッとくるのですが。そういえば邦題もアナと雪の女王だった。

二作目へと継承されたキャラクターの旨味

『アナ雪』もとい『Frozen』は、原題にSnowもQueenも入っていないわけですが、ストーリーも原作から大きく外れたように見せてその実大胆に原作要素を活用した作品でした。

各登場人物は一見して『雪の女王』からインスパイアされていますが、物語の進行と共に役割を変え、原作の要素を多角的な面から噛み締められるようになっています(マジです)。
単純に人間関係の立場が相互に入れ替わっていく様にもグッとくる。

そこにビジュアル・演出共に煮詰めきったクオリティのディズニープリンセスものという器で彩り、本当に美しく、かつ幅広い層に受け入れられる作品になったのでした。ありがたや。

・エルサ

まずは最終形態にガツンときたエルサ。あのドレスアップ、ほぼほぼブリジット・フォンダ(「The Snow Queen」(2002年)出演)じゃなかったですか。あちらは悪役寄りですけどね。
エルサは前作では文字通り雪の女王であり、妹分の前から去るカイであり、凍り付いた家族をその心によって融かすゲルダでもありました(愛に向き合う→力を制御する切っ掛けに という発展形の筋書きが良し)。

実は『雪の女王』における諸悪の根源は鏡の製作者である悪魔(又はゴブリン、トロルなど)です。それらとは別枠な存在の雪の女王は、どうも悪意ある人物と言うよりは自然の概念、冬の擬人化存在っぽいぞという見解を個人的に持っていました。 拡大解釈ですし、映像化だとこの辺り一括りにされがちですが。

1で孤立し、中盤まで所謂悪役になりかけるも踏みとどまったエルサは今作でも「人として迷う」一面がありましたが、それがとうとう北の果てに自らのルーツを見出し、純白のフォームチェンジも美しく、掌握した力で自然と人との架け橋たらんとする存在へと帰結した事には「本当に雪の女王となってしまった、タイトル回収(邦題)だ...。」と胸が熱くなってしまいました。

更に余談ですが、1の時点からアレンデール城にもゲルダとカイという名前の人が勤務しているので、2のラストはそういう意味でもしみじみしてしまいます。

・アナ

最推しことアナです。1でこそエルサと同量のデバフがかかり、別方向で自己と世間のギャップに悩まされていましたが、2ではしっかり寝て逞しく成長。予告編で帯刀する幻覚が見えるまでになりました(武力以上の牽引力を身に付けたよね)。

また前作では、パブリックイメージとしてのゲルダ像を突き詰めたイデア界から拾い上げたような外見をしつつ、山でのエルサ邂逅後は一転してカイの要素が前面に出るという筆者大興奮の造形でもありました。
しかし、今作ではとうとう独りきりになり、どん底で傷ついていても内なる祈りを信じ震えながら前に進んでいくという正のゲルダ概念に圧倒され、やはり号泣してしまいました。

エルサもそうですが、今作のプロット上のテーマと前作からのキャラクターの性質が一貫しているがゆえの驚きがありますよね。
原作ではゲルダもカイも街暮らしの貧しい家に住んでいますが、そんなゲルダと重なる所がある正の主人公力というやつは、そのまま王族の威厳にも適性があるのだなと感じ入ります。大地の精霊と結び付く所も納得出来すぎて恐ろしい。

・クリストフ

ボヘミアン・ラプソディは卑怯でしょ。
ともあれ1の印象ですが、まず一部の人は、キービジュアルに女2男1がいたら「なるほど、これは雪の女王&ゲルダ&カイを下敷きにしたキャラクターかもな」と思います。実際1の幼少期とかありますしね。
ところがどっこい、自然の中で生きる価値観やトナカイへの偏愛、親への反発(0.2%くらい本気で言っています)や清潔感とは縁遠い形容のされ方を見るに、彼の大部分は「山賊(追い剥ぎ)の娘」をベースに構成されていました。アナスイ現象。

山賊の娘というキャラクター、倫理観はかなり荒んでおり映像化作品によっては敵対することもありますが、大抵はゲルダに入れ込んで独自の手法で手助けしてくれるポジションです。
動物の...というか人間の扱いも荒いですが、やり方が我流なだけでその愛情ははっきりと示されている、そんな彼女をめちゃくちゃマイルドにしたのがクリストフと言えるかもしれません。
そしてスヴェン。新天地で仲間がどっと増えるあるあるが見れて嬉しい限りです。

ちなみに『雪の女王』の最後でゲルダとカイは我が家に帰っていきますが、立派な馬に乗り、家から広い世界へ飛び出すのはこの山賊の娘の方だったりします。

他の登場人物の話もだらだらと続けたい所ですが、アナ雪1の単独記事を目指して一旦切り上げます。

3.ディズニーによる『雪の女王』との激闘

現場の方針やクリエイター一人一人の手腕、あるいは無意識、どれも受け手の我々には計り知れません。なので、なぜアナ雪はこんなに一介の原作ファンの心にぶっ刺さるセンスを持ち合わせているのかという好奇心が残ります。

勝手に推測する上で肝になるのは、『雪の女王』がウォルト・ディズニーがかつて構想していた作品である、という点です。

1のアートブック等にその一端が載っていますが、ウォルト・ディズニー・スタジオでは『白雪姫』公開前の1937年後半から、アンデルセンの伝記や著作の映像化の構想が進められていました。『雪の女王』もこの企画の一部としてアイデアが交わされていましたが、1942年頃に企画ごと制作が中断してしまいます。

2000年代の体制でも何度も新たな制作が試みられますが、その度にストーリーを纏める事の困難さに直面してきました。

もちろん他のディズニーによるアンデルセン原作アニメーションのように、長編タイトルとして『雪の女王』は企画に挙げる意義のある作品という事もあろうかとは思いますが、もう一方ではディズニーにとって(我々の知ることの無い沢山の没企画と共に)ウォルトの時代から続いてきたある種の壁でもあったのではないかと感じます。

原作が出版された1844年から100年近く経った時代での制作が難航するのですから、160年以上経った現代のフォーマットに収めてヒットを遂げるのは、もはや人の限界を超える舵さばきだったと言えるでしょう(物語が『Frozen』の形を取り始めてもなお多くの混迷を極めていたエピソードも残っています)。

原作の雰囲気をベースとして全く別の物語を成立させる為にテーマの解体を行い、膨大な破壊と再生を繰り広げた結果、制作側を総体として外から見たときに〈原作理解度が高次元に達している〉という事態が出来上がり、巡り巡って私のような浅学者ですら何か高純度な概念をぶつけられて衝撃を受ける、そのような状況が生まれたのではないでしょうか。
あるいはもっと多くの偶然が絡んでいるのかも知れませんが、何にせよ良い作品との出会いに感謝するばかりです。

というわけで『雪の女王』を見出した人々による汗と血と氷の涙が凝固した『アナと雪の女王2』、大変に楽しませて頂きました。
アートブックと日本版サントラが届くのが楽しみ。

エンドロール後も良かったですね!

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