自分の大嫌いな面こそ、宝物。
自分の大嫌いで仕方なかった部分であり
絶対に見たくないと避けてきた部分の一つ。
「極度の根暗」
「極度のネガティヴ」
ネガティヴ思考すぎて
すべてのことをマイナスに捉える天才だし
人見知りすぎる性質は過去の話ではなく
今も割と色濃く残っていたりする。
( 知り合いを見かけても
気づかないフリして声かけなかったり
一人でいるときなんて特にだけど
フレンドリーに話しかけられる人じゃない )
音楽は、バラードが好きだったり
映画も、昔から暗いものばかり見ていて
あんまり暗いもんだから引かれたこともある。笑
昔から、サイコパスや人身売買、
DVや虐待の事件ドキュメントや映画を見ては
「どういうことがあったら
人はこういうことをしてしまうんだろう」
「こういう人は
どんなことを考えているんだろう」
って、心理を考えるような子供だった。
惹かれるものや興味あるものが
いつもめちゃくちゃに暗い。
( だから意識のこんなマニアックな世界を
こんなに研究して解説してるんだよねw )
これだけ暗い性質が強いくせに
絶対に認められなくて認めたくなくて
私は「太陽」で「明るい」しかない
って、思いたかった。
でもね、認めてしまったら。
それはひとつの才能だと気付いてしまった。
"" 陰極まり陽と成す ""
パラドックスだけど
「陰」という部分に私が光を当てているから
太陽のように明るく「陰」が輝いている。
光を当てられた「陰」が輝いてるから
「暗さ」という性質が「暗い」まま輝いてる。
伝わるかな?
極度のネガティヴに振り切っていたから
人の陥る考えや気持ちが幅広く理解できる。
要するに、共感できる幅が広い。
ということは、思考がすごく深いんです。
考えられる幅がね、広く深い。
だから、争いを生みにくいんだよね。
色んな角度から一つの物事を見ることができるから。
この多角的な視点は、
クリエイティブにも繋がるしね。
世界に溢れる闇という部分を
頭ごなしに責めるという意識がないのも
優しさというよりも、
その人その事の「背景」という存在があることを
知っているから。ただそれだけなんだよね。
そして、感じてきた感情の幅が広いから
「繊細さ」というものが感じられる。
デザインを勉強していたときにも言われたんだけど
「あなたはデザインセンスがある。
あなたネガティヴでしょ?
ネガティヴな人ほどデザインが上手い。」って。
感性が立っている人ほどクリエイティブ。
その感性とは「感情」だったんだよね。
認められる前は、
私の暗さは「敵」でしかなかったし
その暗さを敵にしているもんだから、
世界でも、たくさんの人や事が「敵」だった。
認めてしまったら
私は暗さで形成されているからこそ私だし
その特性が私を明るくしている。だけだったんよ。
だから、いつも明るいのよ。
だから、いつも元気でよく笑うのよ。
だから、人が大好きなんだよ。
自分の大嫌いで仕方がない部分。
そこには、とんでもない宝物があるよ。
だからこそ全部そのまんまでいい、
変える必要のあるものなんてなかったんだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?