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はじめに


こんにちは。
ここではペンネームの「もやし」として活動しようと思います。

まずはじめに、私が何故ここでの記録を始めようと思ったのかを記しておこうと思います。


私は、物心がついた頃から感受性が強い子供でした。

自分自身がそれに気がついたのは、小学校6年生の時に起こったクラスメイトとのやり取りがきっかけです。

私が小学生だった当時は、子供携帯が流行り始めた頃で、両親に買い与えられたピカピカの携帯で友達とメールで連絡を取っていました。特に仲の良い友達とは毎日連絡を取っていた事で、文章内でのその子のちょっとした口癖や、絵文字が分かるようになります。

毎日やり取りしていた友人の1人に、気分の起伏がとても激しい女の子がいて、次第に私はその子のちょっとした文章の変化に違和感を覚え、「私何かしたかのな?」「きっと怒っているんだ」と、何の根拠もない憶測から勝手に不安を感じ、翌日登校することすら辛い、という時期がありました。

人の感情の変化については、文章だけでなく、顔の筋肉の微細な動き、声、態度など様々な場所から感じ取っていました。

それは時に当時の小さな私を苦しめ、時に人の為に活かす事も出来ました。

中学や高校のように、多感な年頃になると、周りの温厚で明るい友達に囲まれて過ごしていたせいもあってか、そのような事で悩まされる事は無くなりました。


それから数年の月日が流れ、社会人として働き始めるようになった今もその神経質な性格が変わる事もなく、上司の些細な一言や友人の発言から彼らの少しの気持ちの動きや表情を必要以上に感じ取ってしまいます。

社会人となった今は、アートに関わる会社の中で、美術書籍の編集に関わる部署に所属し、ちょっとした執筆や広報の仕事も担当しています。

先述した通り、私は感受性が強いことが関係しているためか、小さな頃から芸術文化が大好きでした。絵画、彫刻、工芸、演劇、音楽など色々な物に興味を示していました。
教育番組で放送されるフランスのバレエ団による公演や、大人が好むような雅楽や能をただぼーっと眺める10歳の私を、少し変わった子だと両親は言いました。しかし、それらへの興味を持ち続ける事は忘れませんでした。

地球上に生きる全ての生命の中で唯一、豊かな感情を表現できるのは人間だけです。その中でも、敏感に人の感情や心の動きに「気づき」、「感じ取る力」をこれからも大切にしたいと思っています。自分の長所であり、短所を活かす事ができるが、いつも側にあった芸術への興味だと思っています。

これからの自分自身への記録として、
芸術文化を通して感じた事を少しずつ、残して行こう思います。

どうぞよろしくお願いいたします。

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