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#149 丸谷才一 ”まるや”さん

失礼ながら,ズーゥっとお名前読み間違えていました.「まるや さいいち」さんだったんですね (Wikipedia)。 幸いにも、人前で著者名を声に出したことが今までなく,だれにも気づかれていなかったのですが,「”まるたに”さん」と思いこんでいました.

 丸谷さんの文章は、昔読んだドナルド キーンさんにどことなく似ている感じがして痛快でした。キーンさんの文章は、過激に思われかねない”歯に衣(キヌ)着せぬ”物言いで、芭蕉以外の俳人を”問答無用”に批評してバッタバッタと切り捨てていました。丸谷さんも、戦後の日本語教育、特に「国語」教科書の編纂者に対しては”妖刀”がふるわれている気がします。経歴を拝見すると、作家ジェイムズ ジョイスを卒業論文で取り上げているのですから、既に若い時から”日本人離れ”している片鱗(へんりん)が感じられます。

『完本 日本語のために』丸谷才一 著,新潮社

 図書館で何気なく手にした一冊.最初の2ページで,ブレーキがかかり読まずに返えす本も時々あります.逆に,読み始めて止まらなくなりスピードが”加速する本”と出会えることもあります.これは後者の一冊.

 読み終えて出版社のウェブページを見てみたら,読者の読む気を促そうとする文字が並んでいました.

子どもに詩をつくらせたがる国語教科書。 愚問、珍問、怪問続出の国語入試問題。 日本語教育を難じ、未来を憂う、いまこそ読みたい決定版「国語」読本!

 本が売れないと言われて久しい近頃,つい「過激な言葉」を並べたくなるのはわかるのだけれど,,,,.きっと丸谷さんがご存命なら,「歴史的仮名遣いとヤマト言葉で書いてくれ」と言われたのではないかと思います(笑).

今の自分,昔の自分

 読み終えて不思議に思ったことは二つ.たぶん若いころの自分なら,幾つも”引っかかる箇所”があっただろうに,今は全く違和感が感じないと思える点.例えば,歴史的仮名遣い,今読んでも全く違和感がありません.普通に読めてしまうのは,自分がやはりオジサンになったのでしょうか?日常生活で,そんな仮名遣いを読むことがないのに不思議です.

 もう一つは、「ことば」がその国の文化や歴史と密接で,安易に稚拙な変更をすべきでない点も,昔なら??と思ったとでしょうが,今は全く同意します.”簡単化”することが海外との交流で利点があると思い込み,自分の歴史をゼロにするのは”自我”が確立した人間とは思えない思慮の浅いと言わざるおえない行動です.

 この本を読み終えて,今もし「まるやさん」が生きていたら,なんというだろうかと考えました.「小学校で英語やプログラミングを教える前に,”ちゃんとした文章”を読み,自分の考えを論理的に”分かりやすく”書ける力を身に着けるのが先だよ」というに違いないと思います.「大人になってからも、読書をし、見聞を広めなさい」とも言うでしょう。きっと。

批判の先へ

 何事も”批評”は簡単だけれど,”提案”は難しいと思います.最近のニュースを見聞きしていると、「建設的な批評」を耳にしたいと心から思います,自分もそう心がけねばならないなァー、と思わせてもらえらる「まるやさん」の本との出会いでした。

過去の記事

”歴史的”な 「ヰ」 と 「ヱ」 

○「内蔵電位」 ✖︎「内臓電位」

Ice Brake #1 ; 教養、強要、許容?