密やかに、寂しさを糧にする
小さな男の子が、大きいリュックを背負って歩いている姿を見ると、泣きそうになってしまう。
多分、弟と重ねてしまうから。
小学2年生からサッカーを習い始めた弟。
上半身よりも大きいリュックを背負って練習へ向かう姿を、私含め家族で見守っていた。
そんな弟は、高校に入ってサッカーをやめることを決めた。
事情はさておき、やめることを監督へ伝えた日、「本当にやめるってなるとやっぱり、涙が出た」と連絡があった。
10年近く続けたサッカーをやめると選択するまでの気持ちを想像し、私も泣いてしまった。
なんて返信をしたらいいのか分からず、その日会った人へ相談すると、「誰しも高校生くらいで辛いことのひとつやふたつあるし、みんな乗り越える。話を聞いてあげるだけでいい」と答えてくれた。
確かに、その通りだと思う。
相談の答えを反芻しながら、私は弟に対して過保護なのかもしれないと思った。
『育てられる私から、育てる私になるまで』に書いたように、私は厳しく育てられた。
愛情の影が厳しさであったと、今では分かるし、痛みを覚える経験がなければ、今の私は居なかったと断言できるので、すべてを正しかったと、正しさに変えられたと、言える。
けれど、弟には同じ思いをして欲しくないと反射的に思い、できることなら厳しさも痛みも遠ざけてあげたくなってしまう。
これは、よくない。
形は違うとしても、母が私を閉じ込めたように、私も弟を閉じ込めることになってしまう。
サッカーをやめた弟は、ギターを弾き始めた。
「来週の日曜日空いてる?オープンキャンパスに付いてきてほしい」
「空けられるけど、どこの大学?」
「お姉ちゃんが行ってた大学」
「え!?」
私が通っていたのは音楽大学で、音楽を続ける中で楽しさも面白さも、厳しさも痛みも、私なりに味わった。
なので、思うことはあれこれある。
けれど、もう、自分で選択をするようになった弟に対して私ができることは、頼まれた時に付き添う、聞かれた時に答える、くらいだ。
私が何もしないようにしたとしても、父と母がいろいろと言うだろう。
オープンキャンパスの申し込みを一緒にしてほしいと言われ、「自分でやってみて。分からないところがあったら聞いて。何かあったら何とかしてあげるから」と返すことができた。
今までの私だったら、最初から手助けをしたと思う。
オープンキャンパス当日、学生が学内のステージでライブをしているのを観た。
私が最後に学内でライブをしたのは、卒業式の次の日で、ライブ後、卒業を機に音楽をやめてしまう同期を思って、号泣したことを思い出した。
何かをやめる人を目の当たりにすると、やっぱり寂しい。
でも、当人が覚悟を持って決めていることだから、私は私で密やかに、成長のきっかけにしたい。
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