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キャラクターに興味がなくなった

・溶けたような、パーティクルに分解されたようなキャラクターの絵は、ゲージツ界隈に溢れすぎて、もうわたしが描く意味がないような気がする。
 この感覚もセカイ系のようだなと思う。


・『わたし』を捧げて物語を紡ぐセカイ系。
 シンジの精神的な苦悩がなければ、エヴァンゲリオンという物語がなかったように、
 『物語』という神に『わたし』を捧げる時代は終わったのではないだろうか。
 (神話の時代は終わり)

 『推し』という小さな神々に、『わたしでなくてもよいもの』、つまり誰にとっても等価値である『資本』を捧げる時代。
 ホストクラブに通う女の子たちが、身体を売り金を得て、『推し』のキャストに貢ぐこと。
 Vtuberの『推し』にスパチャを投げ貢ぐこと。
 『推し』の紡ぐ物語が、有限で、ビジネスで、虚構だと理解しながら、ビジネス故に『資本』というお金を貢げば、
 『推しを延命する』ことができる。

 『わたし』が及ぼす力(お金)が、神(セカイ)である『推し』に影響を与えるという構図は、
 (旧)セカイ系とはなんら変わりがない。
 ただ、『推し』がパブリックなもので、ビジネスだという点に大きな違いがある。
 (推しの子についても書きたいけれど、途中までしか読めておらず……)

 強引に定義をすると、
 (新)セカイ系は『自己の消滅』であると考える。

 自ら支配される事を望み、『支配された自己』を『新たな自己』と定義して生き、虚構の物語を紡ぐ。

 この思想は、今流行りの『転生もの』にも繋がっていると感じる。
 転生ものは、所謂チートキャラの主人公に感情移入し、『俺TUEEE』が体験できる物語だけれど、
 全ての主人公は『物語のためのチートキャラ』という属性に支配され『俺TUEEE』以外の自己が消え去ってしまう。
 (俺TUEEEは物理的なものだけではなく、知識を与えなど持たぬ者に施す喜びを含む。)

・上記を雑にまとめると、『自己肯定感がないけど、現代で自己を肯定するのはもう無理ゲー』だとみんな感じているのではないだろうか。
 農業とかしたらいいんだと思うけれど(雑)、それも環境が許されない(という虚構に支配されている)。
 子供を産み育てること、何かしら次世代を育てることも自己肯定感の低さの解決にはなるのだろうけれど、
 では先人がそれを営んで来たその結果の今、なぜ機能不全家族や、少子化、ハラスメントなどの問題が増えているのだろうか。

・猫を飼えば全ての愛の問題は解決する。
 猫は神なので。


・VRCHAT、アバターや世界観を作るのが楽しすぎる。
 人と交流は出来ない。話すことない。


・3Dデカギャラリーを作っている。
 現実にもこういう場所を持ちたいので、パトロンになってくださる石油王からのご連絡を引き続きお待ちしております。


・日々絵も描いています。
 人生3枚目の油絵、キャラクターのエッジを描きたい時は大きなキャンバスじゃないとダメだとわかりを得た。
 シルクスクリーンで線画を刷って、その上から油で塗った方が楽かもしれない。
 アクリル画も全部シルクスクリーンで刷りたい。
 デジタルに慣れてしまうと、デジタル線画のクオリティをキャンバスで出せないことにやきもきしてしまう。
 下手なだけかな?


・来週末行きます。楽しみ。展示レポとか書いていきたい。

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