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夏休み最終日、どんなふうに過ごす?

オンライン校、8月最後の「ばなな館」が終わりました。
テーマは「夏休み最終日の過ごし方」。
自分の終わらせかたと、課題のとらえ方が見えました。

あたりまえのように、宿題にとりくんで、始業式をむかえていたけれど、ここにもそれぞれの感覚が眠ってた。
それをシェア。


宿題はやるもの

私、宿題で困った覚えがあんまりない。
プリント系は早々に終わらせてた。
苦手な読書感想文と自由研究は、母が手伝わない代わりに?すっとやり方の本を買ってきて出してくれたから、それを真似して終わり。

唯一最後までできなかったのは、ひとこと日記と毎日の天気を書くもの。
勝手にねつ造することもできないし、毎日コツコツもできないから、最後の最後に困ったなぁ。
今みたいに、スマホ開けば過去の天気がすぐわかるなんてこともなかったしね。
とはいえ、それも母が適当に取っておいてくれた新聞と、思い出話で何とか仕上げてた。


最終日は出かける日

私にとって夏休み最終日は、最後だからこそ遊びに行く日。
「夏休み最後だから遊ぶぞー!」って勢いで。
宿題もそれまでには終わっていたはず。
最後まで遊んで、明日から学校楽しみ!来年の夏休み楽しみ!で終わっていく。

今もそう。
長男の夏休み最後はでかけたくて、用事のある夫を説得してソレイユの丘いったしね。

他の方の話では、最終日に終わらなくて必死にやってあとで反省会するとか、終わらないから提出しなくちゃいけないぎりぎりまでやらなかったとか、頼めるタイミングをはかって苦手なところをやってもらったとか、始まってすぐやるけどちょっと残して最後に慌ててやるとか・・・
本当に様々。


そうしたかった私がいて、母がいた

何も手出しをしない母だと思っていたわけですが。
他の人の話を聞いてて、母は見守ってくれていたし、頼るとすっと返してくれていたんだなぁと気づいた。
「読書感想文・・・」となると、書き方の本買いに行ってくれたし。
「じゃこの本読もうかな・・・」となると、気づいたら置いてあった。

頼ると、早かった母・・・・きっとそれしたかったんだね。
私も、何かあったら助けてくれる母の確認をしてたのかも。毎年。

そして、終わりの日は。
私にとって、通過点の一つでしかないんだろうと思う。
いつもと変わるわけでもなく、その日は終わっていくし、次の日からの生活をわくわくしながら早々寝てた。
ただ、なんとなく静かに終わる感じがしてたな。
準備が整って、静かに次の日を迎えるみたいな。


さて。わが子に目を向けてみる。

長男、案の定宿題は終わらずでした。
私から見たら、あたふたして困っているように思えたけど・・・
それが彼のペースで、やりたいようやってるんだなぁ。

確かに、ワーク系は答え写しつつ終わらせたし、絵日記もやったし、自由研究は私と一緒にやった。
コツコツ系のひとこと日記みたいなのと、毎日やる漢字練習や音読は一切やらなかった。

私に「やんなくていいの!?」って心配させてくれるし、手助けさせてくれるんだな。

無駄に心配する必要はないし、手を出させてくれるんだから一緒にやりたいところやったらいい。


というわけで。
こう考えると、自分のための宿題なのか、お母さんのための宿題なのか、はたまた先生が安心するための宿題なのか・・・・

そんなもんってことだな。
宿題が終わらなくて、学校行きたくないなんて思ってる子がいたら、本当に大した問題じゃないからっていいたいな。
だって、こんなに宿題に対して、夏休みが終わることに対して、思うことが違うんだもの。
こんな話聞いたら、まぁいいかって思うんじゃないかな。

宿題よりも、おもしろいことってたくさんある。
でも、宿題を通してみる世界もおもしろい。
やらなくちゃいけないじゃなくて、どっちでもいい。



そんな話を8月31日20時からオンラインで配信します。
ZOOMにて。
小学校の先生であるばなな先生と、お母さんの私が話します。
覗くだけでもいいよ。きてね♪



SPOONはじめました。ラジオDJ気分。声だけなのでこちらもぜひ。


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