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親との会話をやめた話

やめたというより諦めたと言った方がいいかもしれない。

まだ子供だった頃。

妹たちは親にその日学校で何があったか、友達とどんな遊びをしたかを話し出す。
私は何も話さない。
聞かれても「うん」「はあ」「別に」程度の言葉しか発しない。

私は小学1年生の時点で親との会話を諦めた。
うちの小学校ではみんな下の名前を呼び捨てし合うのが当たり前だった。そうなるともちろん家でお友達の話をしようとすると呼び捨ての名前を出すことになる。
私の親はそれを許さなかった。

「〇〇『ちゃん』でしょ」

友達の名前を出す度に敬称を求められた。
でも普段そんな風に呼びあってないのに親に話すためだけに違う呼び方をするなんて違和感があった。

それからだんだん家に帰ってもその日の出来事を話さなくなった。
うっかり敬称をつけ忘れたらまた怒られる。
だったらもう最初から話さなければいい。

そうして親と会話しない子になった。

一方で妹たちはそんな怒られ方はしなかった。
名前を呼び捨てし合うのがこの学校では当たり前なのだと親も分かったらしい。

だからといって私にわざわざ謝罪などしないので私は口を閉ざし続けた。

進学して寮に入り親と会話せずに済む環境へ逃げた。
しかしここもまた地獄だった。
毎朝6時15分の朝礼、縦割り班での掃除、夜は20時から22時まで見張られながら勉強。
あらゆる娯楽は持ち込み禁止。

正直参った。
実家の方がマシなんじゃないかと。

年末に実家に帰省した時に久々に親に自分から愚痴を話してみた。
雪が降る中でも外に出されて掃除を強要されること、寮の管理人が勝手に部屋に入って持ち物を物色することなどを。

それを聞いたらさすがに味方してくれるだろうと淡い期待を抱いていた。
雪が降る中我が子を外に出すなんて!勝手に部屋に入るなんて!って。
でも帰ってきた答えは
「あんたはそうやって物事を何でもネガティヴに捉えるからダメなんだ!」
だった。

淡い期待は崩れ去った。

それからまた時が経ち、私は家族の前では一切の喜怒哀楽の表現をやめた。
高3になる頃にようやくそれに気付いた親。

「そんなに無表情のままだと表情筋が死んですぐ老けるよ。もっと喜怒哀楽を表現しなさい」

笑えと言われて笑えるもんじゃないし何より分かっていた。
親の言っている喜怒哀楽とは「喜」と「楽」だけなのだ。
私が怒りや悲しみを見せようものなら「ネガティヴに考えるお前が悪い!」と言われるのだ。

愚痴を聞いて貰えない、味方してくれない、思考を否定される、人格を否定される、そんな相手に相談なんてできるはずもない。

これから先の人生もずっと親に本音を話すことは無い。
私が親のことで心療内科に通っていることも、そこに別のストレスが発生するともうまともに仕事が出来なくなって辞めざるを得なくなることも、親からLINEがくるだけで気持ちが沈むことも、全て親は知ることは無い。

子供に信用されなくなるってこういうことだよ。
他にも書ききれない絶望はたくさんあった。
それが積み重なって親を諦めた。

でも親は子供が独り立ちして子育てをやりきったと満足してるんだろう。
やっと大人になった子供と良好な関係になって家に行き来したり一緒に出かけたりしたいだって?
それはもう手遅れだ。

20数年かけて良好な関係になれない土壌を作ってきたんだから。

人間関係の修復はできない。
「親も大変だから虐待くらい仕方ない」と息巻く虐待擁護派の人の子供たちが私のようにならないといいですね。

どんなに虐待を周りの人間が擁護してくれたとしてもお前の子供が許すとは限らないからな。
そして一見母親を擁護してるように見えるそいつらは、結果的にお前が子供に絶縁されても知ったこっちゃないただの外野だ。
自分に都合のいい言葉をくれる会ったこともない他人と、目の前で苦しみを訴える我が子を天秤にかけて前者を取る気か?

年々大人になった子供に絶縁される親は増え続けてるよ。
今から修復できるのか?

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