炒めないカレー

83. 何も炒めなくてもカレーはおいしく作れるのか? 問題

玉ねぎは炒めないことにした。

今年の新刊でそう書いたら、一部の読者をざわつかせてしまったらしい。そりゃそうだ。これまで僕はスパイスカレーにおける“炒めるプロセス”の重要性について、延々と語ってきたのだから。
強火で焼きつけるように! は、どこへ行った? キャラメリゼは、メイラード反応は、どうなった? 脱水が大事なんじゃなかったのか? こんなことを繰り返していると僕は狼少年になってしまいそうだ。だからこの際、一度、徹底的に“炒めない”ということを突き詰めてみようと思った。

……というのは、嘘で、ひょんなことから炒めずにカレーを作る羽目になったのである。10,000人カレーというイベントがあった。カレーを仕込まなければならない。のだけれど、ラボは地方からの参加者に貸し出すことにしていたから、僕が作業する余裕はない。鍋だけ持って買い出しへ行き、自宅で作ることにした。ところが、帰宅したときに大事なことに気がついた。そういえば、自宅には、スパイスが、ない。ラボができてから、自宅にあったカレーに関するあらゆるものを運び込んだから、今の僕は自宅でカレーを作ることができないのだ。

さて、どうしようかな。ピンチはチャンス? せっかくだからこの状況でなんか面白いことできないかなぁ。僕は予定調和が嫌いでハプニングが大好きなのだ。スパイスがないとカレーは仕込めない。仕込めない? ほんとかな? 仕込んでみるか、と思ったのである。炒めるというプロセスを排除してどこまでカレーをおいしく作れるか実験してみることにした。イベント本番をトライアルの場にするのは、悪い癖だと思ってはいるけれど。

スパイスを使わずに10リットル分(50人分)のカレーを仕込む。スパイスはイベントの現場へ行って最後の最後に加えてみよう。レシピを組み立て、こんな感じで実行した。

★炒めないカレーのレシピ

豚ひき肉2,800gを鍋に入れて塩を振ってふたをして火にかける。水分が出てきたところで、強火にする。豚ひき肉に火が通るまで煮る。鶏ひき肉2,800gを加えて塩をふり、同じように火にかける。火が通るまで。別鍋で煮た玉ねぎ700gと生のにんにく1株、生の青唐辛子20本をミキサーにかけ、混ぜる。トマトピューレ2本とヨーグルト800gを加えて、混ぜる。ココナッツミルク1㎏を加えて、混ぜる。
スパイスも炒めない。まずはホールスパイス。フライパンを熱しメティシードとイエローマスタードシードを乾煎りし、キャラウェイシードとクミンシードを加えて乾煎りする。続いてパウダースパイス。ターメリックパウダー、パプリカパウダー、コリアンダーパウダーを加えて乾煎りする。煙が立つ直前で太白ごま油1瓶340gを混ぜ合わせて少し熱し、フツフツと沸く直前に火を止め、粗熱を取って密閉容器にうつす。

現場に行って鍋にスパイスオイルを混ぜ合わせ、タイバジル(バイメンラック)をはさみで切って加えた。結果、できあがったカレーは、オレンジ色の美しいオイルがほんのり浮き上がった見栄え。味もうまい。あれ? うまい、ぞ、炒めなくても。
炒めなくてもおいしいカレーが作れるのか? の実験は、図らずもおいしいカレーにメイラード反応が必要かどうか? の実験となった。メイラード反応が必要か必要じゃないかでいえば、必要ない。炒める必要があるかないか、でいえばないんだろうなぁ。

スパイスカレーにおける油の役割は三つある。ひとつ目は、素材に適性な熱を加えること。ふたつ目は、スパイスの香りを定着させること。三つ目は、そのものがカレーにうま味を加えること。水分を伴わずに油で素材を加熱することが炒める行為だから、炒めないカレーをおいしくする場合は、ひとつ目の素材の加熱さえ別の方法で実現できれば、残りのふたつの効果は期待できる。だから、何も炒めなくてもカレーはおいしくなるということなのだろう。

来年、新刊を出すときにはこう書くことにしようか。
僕は、もう、何も炒めないことにした。
そしたら、もう、誰も読んでくれなくなりそうだ。

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