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67. おふくろのカレーが一番うまい、は本当なのか? 問題

なんだかんだ言っておふくろのカレーが一番うまいんだよなぁ。
身近な誰かがそう言ったとしたら、どんなふうに聞こえるだろうか。「その通り!」と思う人と「いやいやいや」と思う人がいるだろう。どちらかといえば、後者のほうが多いと思う。僕もそう思う。だって、僕はおふくろのカレーよりもおいしいカレーを山ほど知っているからだ。

じゃあ、こういう場合はどうだろうか。
なんだかんだ言ってインド料理は家庭で食べるのが一番うまいんだよなぁ。
インドから帰ってきた誰かがそう言ったら、どんなふうに聞こえるだろうか? 「なるほど、そうなんですね!」と思う人が多いんじゃないかな。インドで家庭料理を体験したことのある人なら「そう、賛成!」と思う人も多いだろう。「いやいやいや」と言う人は少なそうだ。

日本のカレーは家庭が一番とは思われていない。インドのカレーは家庭が一番と思われていたりする。この差はどこにあるんだろうか。ちなみに僕はインドで家庭料理を何度もいただいたことがあり、どれもおいしかったけれど、「家庭で食べるのが一番だ」と思ったことはないなぁ。
家庭のシュフとレストランのシェフとではテクニックが違い、扱っている素材の質が違う。単純に料理としての完成度だけで言えば、シュフがシェフを超える料理を作るものは難しいと思う。
たとえば、僕の母親はまあまあ料理が上手なほうで、おふくろの味はなんでもうまい。でも、たまに帰省して、たとえば肉野菜炒めなんかを見ていると、「そこはタイミングが違うなぁ」とか「火の入れ方はそうじゃないのに」とか、突っ込みどころが満載である。同じ材料で僕が作り直してみたりすると「どうしたらこんな味になるの? 本当に油と塩だけ!?」とか言われたりして、ご満悦になったりする(低レベルな話で申し訳ない・笑)。

要するに“おいしい”の中身が違うんだと思う。
家庭料理のおいしさは、「作り手の顔が見え、思いを感じられること」や「毎日食べても飽きない優しい味であること」や「気取らない、背伸びしない等身大の味わいであること」などに価値がある。「家族に合わせた塩梅があること」もそうだ。でも、それは、一皿の料理そのもののおいしさとは違う。
レストランのおいしさは、「使用している素材がいいこと」や「火入れをはじめ調理テクニックが優れていること」や「驚きや新鮮さに満ちていること」などに価値がある。それは、料理そのものの完成度はやはり高いと思うが、「みんながおいしいと思う味を目指さなければならない」というハードルもあるから、それ以外の価値に乏しいのかもしれない。

インドを旅してさまざまな場所で食事をしているといろんなおいしさに出会う。ストリートフードでパロタを食べたりすると、家庭のシュフよりもレストランのシェフよりもはるかにおいしいものに出会う。だって、そうだよね。彼は、年がら年じゅう寝ても覚めてもパロタだけを延々と作り続けているのだから。他の誰かが勝てるはずがない。高級ホテルのレストランに行くとパニールを口にしてうなってしまうこともある。聞けば、パニール(チーズ)には水牛のミルク、ダヒ(ヨーグルト)には牛のミルク、など原材料を細かく分けている。そんな原材料にまで気を配っている家庭はきっと少ないだろう(あ、それがインドの家庭のスタンダードだったらごめんなさい……)。

まあ、「みんな違ってみんないい」ことであり、「それぞれにおいしい」ということだ。なあんだ、結局そうなるのか。つまんないな、この話(笑)。さらにこういうことを言ったらすべてがおじゃんになってしまうけれど、レストランでもまずいとこもうまいとこもあり、家庭でもまずいとこもうまいとこもある。こうなってくると区別すること自体がナンセンスになりますな。

なぜ、こんなことをつらつら書いたのかというと、「家庭料理が一番かも!?」というほどうまいのを食べたからだ。
インド旅の帰りにスリランカへ寄った。神戸「カラピンチャ」の濱田夫妻に招待されたマータラで、彼らの友人、ジャヤさん宅で食べた料理が絶品だったからだ。それまで数日間、スリランカの町中で食べたどの料理よりも圧倒的においしいと思った。ほんと、恐れ入りました。
だったら……。視点を日本に移してみる。“一番うまいおふくろのカレー”だって、この世のどこかに存在するのだろう。

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