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173.「焦がす」とカレーはおいしくなるのか? 問題

カレーを作る人を長いことヒリヒリさせてきたのは、「焦がす」という行為だった。特に玉ねぎを炒めているときなんかにそれは起こるケースが多かったのだと思う。おかげで焦がすことに神経質になる人が増えたが、近年(ってどのくらいのことかわからないけれど)、減りつつあると思う。焦がすことにビビらない人が増え、さらには、焦がすことを前向きに捉える人もでてきたからだ。

カレーをおいしくするテクニックについていくつかの手法を挙げ、シェフに打診して一緒にレシピを検討するシリーズを続けてきたが、「焦がす」というテクニックについて相談するなら彼が筆頭かな、と思っていた。大塚『カッチャルバッチャル』の田村シェフ。とにかく焦がすの好きな印象だ。そのことはシェフ仲間にも浸透している。実際、今回の企画でテクニックのラインアップをざっと眺めた『シバカリーワラ』の山登シェフは、「この焦がすは、田村さんですか?」と予言的中させたくらいである。

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田村君は玉ねぎどころかいきなりスターターのホールスパイスから焦がす。たとえば、レッドチリなんかは表面が真っ黒になるまで火を入れるのだ。スパイスの香りと火を入れたときに生まれる香りとの相関関係はこの連載でも何度か書いた記憶がある。

スパイスそのものの香りは、各スパイスが持つエッセンシャルオイルの揮発温度を考えれば、あまり高温にしないほうが保たれる。一方、あるスパイスを固体と考えたとき、高温で火を入れるとその個体の表面を使って香ばしい香り(香味)を立てることができる。だから、スパイスそのものの香りを立たせたいのか、香ばしい香りを立たせたいのかによって火入れの度合いを変えるのがいい。

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この香りの問題とは別の観点で、メイラード反応もある。たとえば、玉ねぎがこんがり色づくのはこの反応が起こっている証拠で、うま味を感じやすくなる。こんがり焦げた部分がおいしいのは、焼き肉とかバスク風チーズケーキとか、いくつかの食べ物を思い浮かべればイメージできると思う。だからカレーに置いても「焦がし」によるメイラード反応は効果的なのである。
とはいえ、焦がすことのネガティブな要素を完全に払しょくすることはできない。いわゆる炭化してしまったものの味はおいしくないわけだから。要するに「意図的に焦がす」ことは大事だが、焦がしすぎないように見極める能力が必要だ。

かつて、たしか「カレーの奥義」という自著で、湯島『デリー』の田中社長と対談したときに、「焦げる」には3つのポイントがあると盛り上がった記憶がある。これもこの連載で書いたような気がするけれど、焦げの進行には次の3段階ある。

A. 焦げ色がつく

B. 焦げ臭がする

C. 焦げ味がする

Cまで言ったらさすがにカレーはまずくなる。最近は、フランス料理の世界などでは、とある食材を意図的に炭化(Cの段階)させたものを料理に応用するような手法も生まれているというけれど。カレーを作る上で炭化を武器として使う姿はまだ僕の頭の中には浮かばない。ただ、Cの手前はいくらでもありえる。Aの段階、AとBの間、Bの段階、BとCの間で意図的に火入れを止めるのは、作りたいカレーによっては有効に働く。それは僕自身も手法として用いるし、田村君も同じ意図で鍋中の見極めを行っている。

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だから、やはり、「焦がす」はそれを意図してカレーに取り入れるのならば、とてもいい手法だということになる。焦がす目的を2通り持てればさらに作るカレーはグレードアップする。

1.香ばしい香りを生むため……主にスパイス(その他の食材も可)を焦がす
2.メイラード反応によるうま味を狙うため……主にその他の食材を焦がす

1と2はセットのようなものでもあるが、スパイス以外の食材を焦がす場合は、1も2も漏れなくついてくる。でも、スパイスだけを焦がす場合は、2を排除して1だけを手にすることができる。典型的な例は、たとえば、スリランカでローステッドカレーパウダーを使う場合などだ。香味は立つがそこでうま味が強まるわけではない。

最近、2のメイラード反応によるうま味が重視されなくなっている気がする。今年の新刊で『スパイスカレー新手法』というものを出した。“ハンズオフカレー”という独自の手法によるカレークッキングを題材にしたものだが、材料を水分も含めてすべて鍋に入れて火にかけるだけなので、メイラード反応は極めて起こりにくい。炒めるプロセスがなく、ただ煮ただけでカレーができあがるから、「意図的に焦がす」ができないのだ。

この方法を見つけて試作を繰り返し、多くの人に食べてもらったが、「炒めて作ったカレーよりもおいしい」と評価する人が多く、耳を疑った。炒めればメイラード反応が生まれる。そこには火入れの状態を見極める腕前と意図的に焦がせる技術が問われる。だから、たとえば僕自身が僕のキャリアの中で積み上げてきた実力が発揮される。でもテクニックを必要としないハンズオフカレーの方がおいしいとなると、僕のテクニックは元より、メイラード反応がプラスではない、という結果になってしまうのだ。軽い味に人気が集まっていると理解するのがいいのだろうか……。

焦がすとカレーはおいしくなるのか? という問いに対して、「おいしくなります」と答えたいところだが、ハンズオフカレーが邪魔をしているという事態を僕自身がまだ受け入れられずにいる。

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※このトライアルは、雑誌『RiCE』カレー特集(2021年4月末発売)にて掲載中。

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