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ええじゃないか. 0

もう新しく語り出さない、と思ったし、毎日、バリバリと割れ、割り込まれ、食われていくのも、麻痺して、その麻痺にも纏い付く記憶の歌、が埋もれていてさ。飽き飽きするのだ。

そんなのを引っ張り出しても、結局、違うなと思うだけなのだ。
灰色、だった。灰色もいろいろ。踊る砂嵐の様なのから、もっと粒子の細かい
ものまで。私は感じた。私は、見た、見えたし、その中にいた。そうして、今が消えて、すっかり、わからなくなったことを覚えているんだ。
誰があの気持ち、わかってくれるんだろう。
わかりゃしないと決めつけすぎか?この世界は底知れないのにさ。
わかる能力が、頭抜けて高いそんな人だって、居るんだろうにさ。

新しく語り出しても、矛盾してまで声を絞り出しても、懲りない頑なな、眺め。
なんだかうんざりも通り越えて、黙っていたくなる、止まってしまう。
何度も何度も、そうだったが。
切り立った崖では、立っていることも出来ないさ。

助けてくれよ!でも不信感でいっぱいになっている。
わかってくれるひと、なんて。居るのかな。
居なくは、ない。でも、切れ切れにちぎれ、遠くなってしまった。或いは?そうでもない。そうでも…

ただそれだけ。
続きは、あるのだか、ないのだか。不確かであること、それが全てらしい。そりゃ、そうだね?何だってさ。
せめて続きがありそうにしておかなくちゃ、かもしれないと思い直した。
せめても、そうすることが、この文に対してのいいことの様に思えた。だから、

(途中)
って、こう書いておこう。こんなのが、いいんだ。

自分はね。こんな書き物をするなんて、間違っていると知っているの。ただ思うのね。
自分にとってのポジティブを、自分で間違っているのかもなと。
気分なんか、上がって下がってまた上がる、から、上がった時だけ気分のいいことを書いて、そういうほうがいいよなって何万回だって思ったけど、じゃあ自分が笑えるような言葉って何も、ニュートラルからキレイめよりだったりいかにも明るかったりする言葉ってだけじゃ、全然無かったね。だいたい自分は、昔いちいちそんなこと考えなかったんだよ。だいたい、辛辣なことやら、痛烈な事やらを言ってしまいがちで、それが面白きゃ笑ってたし、人気を博する名言も毒まみれだったり、お笑いも毒だし、文学なんか基本的に毒で出来ているでしょう。違う?
言葉って酷いもんだ、と思ってたけど、だからってそれに悩みすぎて神経衰弱になったりもしなかった。

結局さ。許しがないの。赦し、と書いてもいいし、ゆるし、でもいいね、だから、話なんか無いのさ。本当のこと言うと、言葉は一杯溢れかえっていても、話じゃないのね。話じゃないのよ、ゲームなの。将棋みたいな、感じかね?それとも国取りゲーム?
良くわからんけどさ。

会話、だったの。まあ会話、下手な方だったんで、結構喋り上手になろうとしたこともあったよ。そうねえ。許し、があればさ。信頼、がありそうなの。信じる、があると、
話は聞きたいものになるよ。乾いた土に水がどんどん染み入っていくみたいに、全ての言葉が。貴重な言葉、話し、声、生きているって言う、ことだった。
そんな風に聞きたいと、楽しみな話ってこのところ、ないんだ、何でかって言うと、やっぱり、そうなんだ、無理なんだよ、ずっと分かっているんだ。許しがないから、何も、気分なんか良くならないんだから、会話なんかないさ。あるのは紛いもので、紛いものってだけではなく、えらく危険なシロモノ?みたいだった。または、工芸品みたいだったのかも知れない。いろいろだったが、どれも違っていてね。

で、時々、鬱々として仕方ない時に書くんだ、稀に、たまーにね。それだけだよ。憂さ晴らしだ。そして、書いてると、それだけでも、無かったな、と思うの。

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