編集のちから

お笑いが好きだ。
アメトークはずっと見てきたし、お笑い番組はことごとく見てきた。
芸人はすごい!と思っていた。
なんでかというといつも面白い事を言ってる、と、思っていたからだ。
滑った部分がカットされていたのは最近まで知らなかった。
例えば30歳の男がいたとする。
名前は黒岩力(仮)とする。
その人の人生30年を5分にまとめるとしたらどうなるのか?考えてみた。
走馬灯のように人生のターニングポイントをピックアップして見ることになる。
到底5分なんかで収まる量じゃない。
そこを削る。
捨てる。
思い切って捨てる。
あれもこれも黒岩力さんの人柄を表すエピソードだらけの中から本質だけ取り出して、他を捨てる。
これはかなり勇気のいることだと思う。

削ったせいで誤解が生じるリスクは高まる、削ったせいで理解されないリスクが生じる。

でも、そのリスク以上に本質だけを取り出してコンパクトにインパクトにまとめる事には大きすぎるメリットがある。

それは、伝わるという圧倒的なメリットだ。
伝わることは大きな価値がある。

逆に削らず、理解されないことのリスクを無くすためにした具体例は何か。
それは契約書だ。
長くなり、条項は増える一方。
そして、長くなるほど読まれなくなる。
契約書は編集は必要がない。
垂れ流しの定点カメラのようなものだ。

話を戻す。

編集者の意志によって、人物や物事の切り取り方が変わる。
週刊文春とかはゴシップの部分だけを切り取るというポリシーで編集する。そうすると、そういう人物像が出来上がる。

例えば人生のカレーを食べたときのシーンをまとめたら、黒岩力くんはカレーしか食べてないようになる。
例えばラーメンを食べたときのシーンをまとめたらラーメン好きに見える。

セルフブランディングもどこを切り取るか?で見られ方が変わる。
身近な人からすると、削られた部分を指摘する人もいる。それは編集のリスクの一つ。
それを理解したうえで、編集すること。
あくまで伝えたいものを伝えるためにすること。
だからこそ、編集はとても大事。
そして、優秀な編集マンはいつの時代も需要があるなと思った。

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