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郷土史①朝鮮半島とのつながり

私の地元の埼玉県南部は地名に朝鮮半島の人々の記憶が残っている

埼玉県南部

①東京都と接する和光市という場所があり、ここは、現在、地下鉄の始発駅として発展しつつある。しかし、新興住民は、かつて和光市が大和町(やまとまち)と言われていたことを知らないかもしれない。(ローカルな話題で、すみません)

なぜ、わざわざ大和町(やまとまち)という呼称だったかというと、現在の和光市の中に大和(やまと)という場所があったからだが、大和に接していた地域は、新倉(にいくら)と白子(しらこ)という地名のところだった。新倉も白子も、新羅からの渡来人が帰化した場所だったので、地名に新とか白(しら)とかついており、元々の日本人の居住地には、大和という名前がついたのである。

和光市に近い新座市も新羅から渡来した人々が住んでいた。また志木市も「しらぎ」が「しき」になったので、渡来系の町だったと見られている。

新羅で判るように、これは最近の話ではなく、古代に起きたことであり、日本と朝鮮との近代の歴史的軋轢とは関係ない。百済滅亡の時、百済の人々が日本に亡命したことは知られているが、新羅人が渡来した跡が地元の地名に残っているのは、私には興味深かった。

最近、韓国との関係改善の動きがあるが、日本と朝鮮半島との間には長い交流の歴史があり、私としては改善を進めてほしいと思う。


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