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安倍元首相の父が総裁になり損ねた話

 安倍元首相の父、安倍晋太郎氏は有力な自民党総裁候補だったが、総裁にはなれなかった。その原因になった出来事。


 1987年自民党総裁選び。1986年の総選挙で自民党が圧勝し、中曽根首相は総裁任期を1年延長、その結果、1987年の総裁選は行わずに中曽根氏が裁定という形で指名することとなった。
 候補になったのは、安倍晋太郎氏、宮澤喜一氏、竹下登氏の3人(以下敬称略)。この3人と中曽根のうち、東大出身でないのは竹下だけだった。竹下は早大出身だが、当時は学歴社会で私立大学出身の首相は珍しかった。竹下は数の力で勝つ必要があり、それには態度を明確にしていない派閥を味方につける必要がある。竹下は安倍と盟友と言われるほど、良好な関係を築いていたから河本派という30人ほどの派閥を味方にすれば、総裁になることは可能だった。
 政治学者の証言によれば、竹下は河本派にひとり1億円ずつ配ったという。合計30億円。お金の出どころは分からない。
 宮澤は安倍に自分と組むように持ち掛けたが、安倍は竹下派が多数であることから、竹下の後、自分がなればよいと考えていた。
 中曽根は安倍が宮澤と組めば安倍総裁、安倍が竹下と組めば竹下総裁にする腹積もりでいた。
 結果、竹下総裁誕生となり、宮澤の涙をためた顔の映像が流れることとなる。
 

しかし、自民党は2年後の参議院議員選挙で初めて、単独過半数を割る大敗。安倍は重病となり、「このままでは死んでも死にきれない。自民党を助けて下さい。」という言葉を最期に公的な場から姿を消し、参議院選挙の2年後になくなった。
 安倍晋三は父の遺志を継ぎ、自民党を立て直すことを誓った。
 

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