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ただようサンデーモーニング

娘が習い事に行ってるあいだのサンデーモーニング。

3回目なのに意気揚々と向かっていく背中に逞しさを感じて見送って、束の間優雅に朝食かまして舞い戻る。

ドアの隙間からのぞいてみると、車座になっておしゃべりする子たちと、もくもくと自分のことをする子のあいだを荷物を持ったり、出したり、歩み寄ったり、髪の毛直したりしながらただよう小さな子がいた。

娘は私によく似ている。カフェで隣り合った人に、レジのお姉さんに、バスで横に立っている人に「そっくりね」と日々話しかけられる(週1確実)。

ブドウ色のふわふわでぶかぶかのレオタードで、所在なくただよう娘もまたほんとうに私によく似ていた。

大学受験のために通ってた予備校で、夏期講習だけ通いにきた同級生に「半年通ってて、友だちいないの?まじ?」って言われたけど、結局、受験終わるまで友だちはできなかった。まじ。
保育園から8年くらい通った新体操でも、行けば話すけど個別に遊ぶ友だちはいなかったし、その後ヨガ教室とかフランス語教室とかワインのスクールとかでも教室外で会うような人はいなかった。
ホームといえる学校とか仕事場以外だと、一生ただよってしまう。

所在なくて、所在ないことを認識していて、かと言って自分から輪に入るのも、自分の世界に集中するのもできなくて、でも別にさみしいわけではなくて。だから、さみしいような表情に見られないようにだけは意識していて。

おしゃべりの輪に入るのもきっと楽しいし、自分の世界に入るのもきっといい。
ただようしかなかったとしても、所在なかったとしても、そういう場所があることもいつかきっと大事になるとも思う。

ドアを開けたら、所在なくただよっていた女の子と鏡越しに目が合った。
さみしそうに見えないための笑顔から、いつもの笑顔になって走ってきた。あごの長さのボブはおだんごヘアにならずふわふわで、ぶかぶかのレオタードは肩ひもがずれている。

帰ったらYouTubeで「ボブ おだんご」と調べよう。肩ひも調整してあげよう。
まだ日曜日の朝10時だ、

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