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自然の声を聞く

地域のみんなで「食べて、作って、遊ぶ」。

便利さと引き換えに、わたしたちはそんな、なんでもない時間と場の共有を手放してきてしまった。

でも、その積み重ねこそが生きる意味だし、それが実は災害時にも、なによりの備えにもなる。結局、災害バッグの中身は、補助的なものでしかないのだ。

そんな、ぼんやりした思いを確信に変えてくれたのは、八幡暁との出会いだった。

海と共にある人の暮らしが知りたくて、カヤックに水と銛と最小限の荷物を積んでほぼ身ひとつでオーストラリアから日本まで、海の道を1万キロ旅した海洋冒険家。「はちべえ」こと八幡暁。

5年前、同じ町に暮らす子育て仲間として、そっか を一緒にはじめた。はちべえが自然や海の民から学んだことは、心に深く刻まれている。

過去の投稿からはちべえ語録が出てきたので、noteにも再掲載。

※そっかを立ち上げた6年前、greenz.jpに取材してもらったときの写真。小禄慎一郎撮影。当時の話はこちらで。


以下、はちべえの言葉たち。

「漁村では必ず、ご馳走になる。売れば数千円という価値のある魚介類を、決して経済的に裕福ではない漁師たちが食べろ食べろと出してくれる。泊まって行け、という話になる。
 これは、世界中の漁村どこを訪れても必ず起こること。ぼくが貧乏そうに見えたとか、まあそれもあるかもしれないけど、笑、そういうことじゃないと思う。

 ある漁師は、太平洋銀行という考えかたを話してくれた。自分たちは、海の元本には手を付けず、利子だけいただいて暮らしている。だからそのお裾分けをしているだけだ、と。自然と向き合っている人は、必ずそうなる。そういう風にできている」



「世界中の漁村で、子どもたちが勝手に海で遊んでいる。でも、日本の海には子どもがいない。日本の海で、子どもだけが遊んでいる風景には、もう出会えないんです。危ないから禁止、ね。これは大問題ですよ。
 確かに、海や川で子どもを勝手に遊ばせていたら100人のうち1人が怪我をするかもしれない。ときには亡くなることもあるかもしれない。でも、日々、自然の中で子どもが遊ぶことは、何が危険か、危ないときにはどうしたらいいかを判断する力を養う機会でもあるんです。
 それを学ぶ機会を奪ったら、大災害が起ったときにどうなるか。全員死にます。それって逆に、ものすごく危険なことなんじゃないか。普段から "アホは死ぬから気をつけろよ" とだけ言って、子どもを海に放つことがあってもいいんじゃないか」



「宮城県のある漁村には、そうした自然とのふれあいが何より大事だと知っているリーダーがいる。国土交通省に連絡すれば、漁村の砂利の港はすぐにでもコンクリートで固めてもらえます。でも、砂利の浜を奪ったら、子どもはどこで遊ぶんだと言ったリーダーがいたんです。断固として、便利なコンクリートを導入しなかった。
 こういう村には、若いのが帰ってくるんです。跡取り不在でつぶれて行く漁村が多い中、ここだけは、全世帯に跡取りがいる。中央の指示に従うよりも、未来と足下の自然を見つめて判断できる、こういうリーダーがいる漁村は、違いますね」



「責任を回避する大人が増えている。たき火したい子どもがいても、何かがあったときの責任を取ることをしたくないから、行政が禁止をする。"なにかあったら俺が責任もつから、どんどんやれ" っていう大人がいないとダメですよ。
 目黒川にも "昔はこの川は生活に密着していて…" なんて看板があるのに、今じゃご丁寧に、日本語・中国語・英語で "立ち入り禁止" って書いてある。法的には何も問題ないのに。
 自分たちは、足下の自然と触れ合う意味で、目黒川をじゃぶじゃぶ歩く活動をしています。そしたら、通報する人がいたりしてね」



「逗子の海から川をじゃぶじゃぶのぼっていくのもやりました。3~4時間も歩けば森の中の源流に着きます。ものすごく楽しいですよ。皆さん、テレビでアマゾンの秘境やヒマラヤの冒険なんていうテーマのものをご覧になっているかもしれない。そんなもの観て "ほー!" って言ってるより、まず足下の自然に入ってみるといい。ものすごくいろんなことがわかりますから」

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