「 ねぇ、わたし大人になりたくない 」
今週に入ってから疲労が抜けなくなった。
夜うまく寝れていないのか、午後になると仕事中でも気を抜くと意識が遠のきそうになる。
よく考えたら休みの日によく遊んでいるから仕方がない。確認したら先月の頭に令和の流行り病になり、その休暇が明けてから三週間、予定がない日がなかった。
今日こそ寝てやるという日に限って、同期から電話があった。もうすぐ寝るからちょっとだけと思ったのに、「話したいことがあってね」と言ってから5つも話があった。(眠たすぎて内容をほとんど覚えていない)
電話した日の前日に、なぜかわたしは「好きな人が変わった」という噂が流れてると急にきた先輩からのLINEでわかった。この歳になって好きな人云々で噂されるのが無理すぎるのだが、もしかしたら推しのことがバレたのかもしれないと思った。
でもあまりにもその先輩の態度が嫌すぎて、推しの話は隠して同期にその話をした。
そこから恋愛の話になった。
相変わらず「新しい人を見つけなよ」という同期に、わたしは疲労と睡魔と推しからの返事が全く来なくなったことから弱気になっていた。
「好きになった人みんないなくなっちゃう、残ったのはあんただけだよ」と言ってしまったわたしに対して
「きみは追いかけすぎるんだよ、男は追いかけたいものだから」「俺は相手してないから気にならないというか、俺が行くところに勝手についてきて、今のところ俺に負担はないから別にいいけど」と言われた。
流石だと思った。同期は好きな人だということ以上に大学でできたいちばんの友達であり、いちばんわたしのことをよくわかってる。
この日の同期はよく喋った。
「俺はまだやりたいことがあるしそれに振り回すのが申し訳ないから付き合わないんだよ」「だから出会い系で出会った適当な女と適当に付き合って別れたい」
耳を疑った。だってそれは、わたしのことを大事に思っているということではないのか。少なくとも恋愛でなくとも、大切にしたいと思ってくれてるのではないか。
同期は変なやつだ。わたしが好きになった人はみんないなくなっていくのに、同期だけは「同期のことが恋愛として好きなわたし」をたぶん「人として好き」でいてくれていた。わたしももうこの感情が、恋愛という好きで語りきれなくなっている。同期は「好きな人」であり、「いちばんの友達」であり、「いちばんの理解者」なのだから。
話は変わるが、SIX LOUNGEがメリールーの再録を挙げた。わたしがこの曲と出会ったのは3年前、まだ別の人のことが好きだったときだった。
時が経ってメリールーもわたしも大人になっても、この曲は、共感するし、「ねぇ、わたし大人になりたくない」のところがとても好きだった。
推しと出会ってからはメリールーは推しの曲になってしまった。なぜなら推しがミルクティーが好きだと知ってしまったからだ。推しの部屋の、服の、布団の匂いがとても好きだったから、「紅茶とあなたの匂いが好きだから」でいつも思い出してしまうようになった。
同期への気持ちの大きさを再認識しても、推しからの返事がなくても、やっぱり思い出してしまう。
でもわたしが追いかけすぎたのだろう、推しは追いかけたらいなくなってしまう側の人間なのかもしれない。
わたしは今、二つの沼の間にいる。
片方はどれだけ溺れて苦しんでいても助けてくれなかった、でもいざ出ようとすると腕を掴もうとしてくる。
片方は優しく手を繋いで引っ張り入れたくせに、いざ溺れかけると浮き輪を投げて沈ませてはくれない。
こんなわけのわからないことになる予定じゃなかった。こんな大人になるつもりはなかったし、こんな大人になるくらいなら大人になりたくなかった。
やっぱりわたしは幸せになれないのかもしれない。
次に東京に行くのは早くて12月、次はどんな予定になるのだろう。
あえて昔のメリールーを載せておきます。この必死感が好き。