見出し画像

28|11年前をおもう

11年前、私は小学一年生でした。

運の悪いことに金曜日は低学年だけ早帰り、
そしていつも仕事をしている父に加えて、母が唯一仕事がある日。 お留守番の日でした。

一度目、下校中に学校と家のちょうど真ん中ら辺で大きく揺れました。周りの家の塀が倒れて巻き込まれないよう、友だちと道路の真ん中に行き、うずくまりました。収まってから駆け足で家へ帰りました。

家に着くも、そうだ、今日はお留守番の日。
お母さんもお父さんもいない。どうしよう。
困りました。電話はもちろん繋がらない。

私が一人であることを知っていた友だちのお母さんが、「あいちゃん、うちにおいで」と言いに来てくれた時、二度目。

驚いて靴も履かず鍵もかけず、外に飛び出して公園まで行きました。公園で多くの友だちと夜まで過ごしました。たくさんのお母さんたちが声をかけてくれました。

当時、15キロ離れた保育園に勤務していた母は、現地で知り合いから自転車を借り、1時間以上かけて自力で帰ってきてくれました。
都内にいた父は会社に泊まりました。
幼稚園にいた弟のことは、また違う友だちのお母さんが迎えに行ってくれました。

やっとお母さんに会えて、暗くなってから家に帰ってテレビをつけた時、そこに映った光景は今でも忘れません。
この世のものとは思えませんでした。

揺れ、津波、火災、爆発。
何が起こっているのかわからなかった。

結局私のいた地域は震度5強でしたが、身近には大きな被害もなく、無事でした。

それでも11年前、被災地をはじめ、たくさんの辛い思いをした方がいたこと、犠牲があったこと、今も日常生活や記憶の中で苦しんでいる方がいること、そんなみなさんがどうか少しでも幸せに生きられるよう、心から願っています。


そして、忘れてはいけないと、私は強く思います。

当時小学一年生だった私は、今の子どもたちの中で、記憶がある最後の世代なんじゃないかと思っています。三つ下の弟、当時4歳だった彼は、もうその時の記憶はないと言っていました。

被災していなくても、私があの瞬間体験した恐怖、助けられた人の温かさ、この目で見たもの、それを私は伝えていかなければいけません。

怖かったし、心配だったし、寂しかった。

でも私に声をかけてくれる人がいて、弟を迎えに行ってくれる人がいて、母に自転車を貸してくれる人がいて、遅くまで私のことを見てくれる人がいたから、助けられました。


自然災害は、「しょうがない」ことかもしれません。
きっと私が生きてるうち、残念ながらまた大きな地震は来るんだと思います。

でもその時に、3.11のことを思い出して、強く、生きていられるように、どうか、11年前のことを忘れないように。

10年後も20年後も、みんなと笑いあっていられますように。

全てのおもいを、ここに込めて。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?