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「どうしてそんなに困った顔をしているんですか」

いくらか人が去っていくと、同じだけ人がやってくる、という知人の集まり。私の隣席が空いてすぐにその人はやってきた。私は一方的に彼女を知っていたので、はじめまして、と自己紹介を続けると、このように指摘された。

これまで私がしてきたすべての自己紹介を、私は外から見ることになった。
毎日が過ぎ去るのを待つだけで簡単に死ぬことができてしまう。恐ろしいですね。

次に会ったとき、彼女は私のことをあんまり覚えていなかった。それからの自己紹介。


「あなたが怒ったことがないのって人に興味がないからじゃないですか」

代田橋にある物件の内見予約をしたら、日暮里の不動産屋から電話があった。雑居ビルの外観からは想像できない、いやに綺麗なフロアで、私の担当となったのはたぶん新卒の、そう思ったのは仕事ぶりに野心的な危うさがあるスタッフだった。なるべく遠回しな表現を使いながら、安くて広いところでお願いします、と暗に主張したところ、笑顔で千葉の物件を提案され、負けじと応戦するうちに、結局最初に希望していた代田橋の物件への内見をとりつけたのだった。

駅へ向かう晴れた交差点を歩く。仕事上の雑談、と、雑談、の中間のトーンで、お優しそうですよね、怒ったこととかあるんですか?と聞かれたので、ないかも知れないですね、とへらへらしていたら、こう返された。

電車の中で、彼女は自分が今の職に就いた経緯を聞かせてくれた。バド部時代の先輩の話も。代田橋の物件はとても好みだったんだけど、その場で契約する流れになって、晴れていて、風が強かったから、直前で断ってしまった。本当によく晴れていたことばかり覚えている。


「先輩って穏やかな顔してるけどずっとイラついてますよね」

彼はそのあと、哺乳類展をみに上野へ出かけた。自分が人間であるという罪を思い出すためだという。

私はそのあと、彼に勧められた本を新宿で買って帰り、仕事用の鞄にしまった。よく眠れた。

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