依存症

スマホに顔が吸い込まれる人々を写真に捉えた風刺作品をご存知だろうか。今朝の私はまさにその状態だった。いっそ吸い込んでくれれば幸せなのだが、向こうも遠慮しているのかなかなか本領を発揮してこない。膠着状態に陥ったところでウンザリしてしまって、最寄りの駅のコインロッカーへスマホをぶち込み、意気地なし…と呟いて改札をくぐった。遠くへ行きたい気分だった。

荻窪から東京駅で横須賀線に乗り換え、終点の久里浜を目指す。時間は充分にあったから、唯一の娯楽として持参した歌集を開いた。私は時折こうして部屋から抜け出さないと人の形を保てない。これは繊細アピールをしているわけではなくて、本当に、千と千尋のオクサレ様みたいになってしまうのである。よきかな。よくないが。

さて列車は鎌倉駅で5分ほど停車することとなり、飽き性の私はそそくさとホームへ踊り出た。久里浜行きの計画はどこへやら、鎌倉観光も結構だろうと西改札を抜けて、思い出した。ここは特大観光スポットである。道ゆく人はみな洒落た格好に身を包み、スイーツ片手に華やかな明日を語り合うのだ。対する私はヨレヨレのシャツを着て人に扮するオクサレ様である。人力車に轢き殺され、大仏に蓮池から地獄へ落とされる前に急いで踵を返した。目的地を変更しよう。

ひとつ隣の北鎌倉は一転して小さな駅であった。東口を出るとすぐに有名な円覚寺の門が構えており、その落ち着きようはまさに質実剛健。人通りも少なく、私の瘴気を鎮めていただけるような静かな雰囲気である (セミは命の限り鳴いている)。

円覚寺は以前訪れたことがあったので、反対の西口方面を調べてみると、浄智寺から源氏山公園へ続くハイキングコースがあることが分かった。眠っていた元山岳部員の血が騒ぎ、早速ルートを辿っていく。スマホは荻窪に監禁したため写真は一切ないがご容赦いただきたい。

想像していたよりもしっかり山道であった。台風の接近に伴う不安定な天気の中、傘も持たず、つっかけサンダルで登る私にはいずれ天罰が下ることだろう。しかし時折覗かせる晴れ間や、季節の変わり目で夏秋双方の虫が鳴く木々には心が踊った。他の登山者が見当たらなかったので、中腹で足を止め、おそるおそる歌集を音読してみたりした。楽しかった。ぬかるみに足を滑らせ、あっ、死ぬかもしれない、と思う瞬間がいちばん生きている心地がした。絶対に真似しないでください。

狭い山道とは打って変わって、源氏山公園はかなり開けていた。風に揺れる葉と木漏れ日が美しい。お隣の葛原岡神社を参拝してポカリ(麓と同じ150円だった)を購入した後、下山ルートで憎っくき鎌倉駅へと向かう。途中切り通しの険しい化粧坂を下りるタイミングで、異変に気付いた。木々のざわめき、足元を伝う水の勢い、たちこめる暗雲。傘を持たない私にとって、雨とは死を意味している。天罰だ、と思った。すんでのところで住宅街へ抜けたが、結局雨には降られてしまった。しかし降られてしまえば案外楽しいものである。ギャアと叫びつつも嬉々として木陰から木陰へ飛び移り、辿り着いた場所には枯れかけの紫陽花が咲いていた。夏、終わっちゃったんだな。今年も好きだったよ…。 おっ、今の私、しおらしいな。もし私が美少女であれば、学帽をかぶった少年が駆け寄り、ん、と傘を渡して去っていくだろう。

鎌倉駅が近づくにつれ、少々げんなりした気分になってきた。車は「殺します」という距離の詰め方で左折してくるし、ずぶ濡れの私を見た鎌倉の紳士淑女は哀れみの目を向けてくる。でもそれを上回る満足があった。源氏山で私の読んだ歌は虫たちに届いただろうか。小さな生の実感を噛みしめながら改札をくぐった。

監禁したスマホを迎えにゆこう。

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