灼熱

またひとつ年を重ねた。

6月2日は、織田信長が燃え盛る本能寺の中で「人間五十年…」と吟じたことで知られている。だが、人間五十年というのは別に当時の平均寿命のことではないし、そもそも本能寺で吟じたというのも後の時代の脚色に過ぎないという。とはいえ、短いながらも天下統一を成し遂げた彼の野心と好奇心に満ちた生涯は華々しく語り継がれ、歴史に大きく名を刻んだ。

五十まで生きたら死のうと思っている、と友人がこぼしたことがある。彼は冴えない青年のフリをしているが、大胆不敵で、好奇心に従順である。私より遥かに物知りで、いつの間にかスペインの巡礼路を歩いていて、私が来世でも経験できないような激しい恋をしている。長く生きていてもしょうがない、と話す彼の静かな語り口にはたしかな熱が宿っていて、不思議な説得力があった。一方の私は、いまにも消えそうなローソクの灯を大事に守りながら、ちまちまと命を消費して生きながらえている。

6月には季節がない。年によって暑かったり寒かったり、雨が降ったり降らなかったりする。豊かな四季が讃えられる日本において、6月というのはことさらに曖昧で、気配が薄い。私は、6月のように生きてきた。

幸いにも、この一年でたくさんの人に恵まれた。彼らと話すうちに自分の輪郭がはっきりしていくのを感じる。同時に、自分のうちに眠る欲に対して素直になりはじめている。これまでは多くを望まない生き方を心掛けてきた(つもりだ)。それはそれで美点だと感じているのだが、結局やってみたいことは増えるばかりで、その健やかさが心地よい。テーブルが回転する中華に行きたいし、気球にも乗ってみたい。姫カットの人と話したい。みんなと裁判の傍聴に行きたい。そのあと、ファミレスで感想を交換したい。パーティーの招待状を書きたい。闇鍋したい。踊り明かしたい。

6月を過ぎれば、大好きな夏が来る。夏のふざけた暑さは起き抜けの私の笑いを誘い、品のない鮮やかさが私の所在を浮かび上がらせる。あの、今年の夏もみなさんと遊びたいです。誘ってください。コップに蕎麦を入れて食べたりしましょうね。約束ですよ。

最後にもうひとつ、わがままを申し上げます。
私はみなさんが作ったご飯の写真やお出かけしたときの写真が好きです。私の誕生日を祝ってくださるみなさん、どうか、このツイートに写真を添えてご返信いただけないでしょうか。もちろん別の形でも構いません。しっぽを振って待っています。よろしくお願いします。

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