誤作動

夢の終わりに突然、落ちるような、転ぶような感覚に襲われて目を覚ましてしまう、という経験はないだろうか。睡眠時におこる脳の誤作動が原因らしいが、どうやらこの落下感に伴うイメージは人によって異なるという。

幼い頃、群馬の田舎に住む祖父母の家へよく泊まりに行っていた。かつては物分かりのいい少年だったので、祖父母からいたく気に入られていたと思う。いちど建前で好きといった山菜が行くたび食卓に並んだ。私がクレヨンで描いた拙い絵が冷蔵庫いっぱいに貼られた。浴槽は私の家より広いのに、歯磨きは塩でした。祖父母はとっとと寝てしまうから、私は居間に残って夜遅くまでカートゥーンネットワークを観た。寝室が二階にあるのだが、そこへ行くまでの階段が急なつくりで、やけに薄暗かったのを覚えている。

その階段が、私にとっての落下感だった。夢がひと段落ついて次の場面へ移ろうとすると、必ず薄暗い階段が現れる。どんなに慎重に歩みを進めても、最後は必ずステップを踏み外し、より深い暗がりへと転落していく。そこで目が覚める。

落下感にはおそらく、トラウマにも似た潜在的な恐怖が反映されるのではないかと思う。めいっぱい遊んだ一日の終わりに、暗く急な階段をひとりでよじ登ることは、小さな私にとって十分に恐ろしいことだった。そこでかつてこの家に住んでいた母に落下感について尋ねたが、夢に階段は現れなかったという。母の落下感は、街を歩いていると突然地割れが起こり、その境目に飲み込まれていくというものだった。恐怖のスケールが違う。

一昨年、安いサンダルを買った。私は靴下を履く作業を苦痛に感じているので、少しでも夏を察知したら飛びつくようにサンダルを履いている。それは雨の日でも関係がなかった。いい加減冷え込んできたなと笑いながら秋口までサンダルを履き腐るおかげで、すっかり底がすり減ってしまった。今年は比較的早めに夏が察知され、私の中ではとうにサンダルの季節になっている。ところが底のすり減ったサンダルは非常によく滑る。雨の日は特に危険だ。気づいたら自分の頭蓋骨が地面に急接近しているなんてことも起こりかねない。おかげで爪先から足をつけるような妙な歩き方を習得してしまった。

最近、このサンダルの恐怖が夢に現れる。ごきげんに歩いていても、気づけば濡れた地面に引き寄せられ、サンダルが宙に舞う。このごろは年を取ってきて、まだ眠りの浅いタイミングで頻繁にサンダルが登場するようになった。祖父母の家の階段から安物のサンダルへ恐怖が上書きされてしまった。夢から目覚めても、もう山菜の味や塩のざらつきや帰りのジープの揺れは甦らない。ただびしょびしょの街の匂いが残るだけである。私はいい加減スニーカーを履いた方がいいんじゃないか。

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