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結果論としての「繋ぐ者」に。

先日、自己紹介のnoteを書いた。

これをきっかけに(本人から聞きました。大変ありがたいことです)、大学時代の先輩のしゅんさんが同じように自己紹介noteを書いていた。

この中でも言及されているが、ぼくも先輩も「いろんな先生」の1人だ。ぼくがこの立場を選んだ話を今日は書く。

はじまり。

根底から話すと、学生時代に遡る。大学入学後から塾でアルバイトを始め、教育には関心がある程度だった。1年の春休みに参加した議員インターンシップで、キャリア教育について調べ学習をするうちに、より関心が高まった。

といえば聞こえはいいが、この辺りで教育の道に進もうと根っから決める、グサリとくることがあった。

地元の高校で、生徒が自ら命を絶った、と。それも、知っている子だった。

こういう話はしばしばニュースでも聞くことがあったが、一気に身近に感じることになったのはこの一件だ。

塾で生徒たちと話すときもたまに話題に上がったが、やはりその一件が出てくる。件の高校の名前に起きたことをねじ込んだりとか。人の命が失われる出来事だから、彼らにとってもインパクトは大きい、と。

いくつか時が経って、高校での体罰が全国的に明らかになった時期に、詳細を知る。原因となったのは、部活の顧問による不適切な指導だった、と。

教師って親や祖父母といった保護者とおなじくらい、子どもと接する大人であるわけで、自らをそういう存在だと意識できていなかったのか。
ぼくがそういう意味で運のいい環境で過ごせていた、と思うよりも、「こんな人もいるのか…なんでなんだ」というショックと「子どもの味方でいるのは、当然じゃねえのかよ…!」という、教員への漠然とした怒りの感情が大差で勝っていた。

自分がなってみよう。

さらに時は流れ就活。全貌が見えてきて、ぼくは「どうしたら教員による悲劇をなくせるだろうか」と考えた。

先生になる人の教育、すなわち教員教育がいいのか、子どもと直に触れ合う環境がいいのか、目的を達成するルートはないのか。こういう考えのもとで、教育業界(と行政)を志望した。
しかし、ピンとくるところはなかった。こういうことを考える人は、先進的すぎたのか、あるいは限界があるのか。

さらに、ぼくには決定的に足りない部分があった。

「教職課程がどうなっているのか、それを履修している人は何を学んで教員になるのか」

この視点が本当になかった。現場も教員視点で見たことがない人間なわけだし、仮にそういうことを始めても説得力があるのか、と。
今更教職を…と思ったけれど、先出の先輩が通信で教職を取り始めたことを知っていたので、「その手があったか…!」と、もう数年だけ学ぶことを決めた。

教職課程を学んでわかったこと

そんなことで、京都の佛教大学の通信課程で学び始めた。履修の修了には介護等体験(特別支援学校と社会福祉施設での実習)や教育実習もあり、3年かかった。

教職課程で学んだことで印象に残るのは、やはり実習になる。
教育実習では、初日に「私たちは預かった生徒を、そのままの姿でお返しする」という話を最初に聞いた。このことは、ぼくが今学校で生徒と関わるときにすごく意識していることだ。当然のことであるが、生徒は誰かの大切な子どもだ。あくまで「他人」である我々が、危害を加えていいものではない。暴力なんてもってのほかだ。この話を聞いたぼくは、幾分か救われた気持ちになった。

それ以上に、テキスト学習のなかでどれだけ自分で考えたかに左右されると実感した。ただテキスト読んでレポート書くんじゃなくて、そこを踏まえて何を考えたか、それを実践に移せたか、今になると実感する。

教職課程を学ぶ中では、個人が何を学ぶのかに大きく左右される、ことがわかった。通信課程と通学は違うかもしれないけれど、いざ教壇に立つまでに誰と会うか、どう過ごすか、それは変えられると考えている。

ぼくの場合、今を語る上で外せない「マーブルタウン」との出会いもこの期間だった。

たまたまTwitterを見てたら岐阜でやってるニュース記事が流れてきて、「何これめっちゃ面白そうやん!(語彙力崩壊太郎)」と第一印象で確信した。記事を読んでから、ぎふマーブルタウンを主催してる住田くんに「ボランティアで参加させてください!」ってすぐに連絡したのは今でも覚えている。

初めてのマーブルタウンに参加して、「これ刈谷でやりたい!」とすぐに伝えた。そしたら、岡崎市で本家のマーブルタウンを開催している戦友・三塩さんを紹介していただいて、「刈谷でやろう」と背中を押してくれた。これが今からちょうど3年前のこと、講師として働き始める数ヶ月前のことだ。

それが誰かの「意味あること」になれば。

私立高校の非常勤講師として働き始めてもうじき丸3年になる。

この立場は、学校の「中の世界」にいながら「外の世界」の立場にいることができる。ぼくの場合だと、例えば「かりやマーブルタウン」の代表として、まちに関する活動をする肩書きを持っている。

この3年でよく言われたことは「学校の先生なんですか!ここ(オンラインオフライン問わず)にいるってすごい」に類すること。つまり、大体驚かれる。それだけ、学校の先生が「外の世界」に現れることが少ないという証左だろう。

ぼくは元々自分からその場に身を置くことが好きなので、そういう場に行っても全く苦じゃないし、「時間と体力の許す限り、いろんな場所で学んでやろう」という考えで動いてきた人間だ。

昨年末、戦友の視察に同行したときに、ぼくのことを「学校の先生でいながら、こうやって社会に出て活動してくれている。繋がりを持ってくれる先生がいるのは嬉しいこと(戦友よ、見ていたらごめん。うろ覚え。)」と紹介してくれた。そこまでの意図はしていなかったけれど、こう紹介してくれたのは嬉しすぎる。ぼくの中の嘴平伊之助がホワホワする。

前の自己紹介noteで書いたように、学校の中と外を行き来しやすい立場にいることは「こういう先生がいたっていいじゃない」と、自分自身で考えて動いているだけだ。でも、それが誰かにとってすごく意味のある存在であるのなら、これ以上の喜びはない。

結果論として「繋ぐ人」に。

学校の中と外を経験すると、どっちの世界も同じことを言うんだなとも気づいた。外にいるときは「学校の先生は世間を知らない」に類する声が大きく聞こえるし、ぼくも学生の頃は「彼らは外を知ろうとすることをしない、教職志望の学生は、外の世界を知らずに教員になっていいのか」と言っていた身だ。
逆に、今こうして中にいるときは「外の人間は自分たちの苦労を知らない」に類する声が大きく聞こえるようになる(ぼくが知る限りでは、自分の職場ではそういったことは聞いたことがない)。

結局、中も外も言ってることの中身は同じなのだ。互いに「AはBを知らない」と言っている。もちろん、知ってもらおうと行動している人の存在は認知しているが。
だけど、知らない人、特にリアルで知らない人に何か言われるのって、「誰お前?」みたいに結構しんどかったりする。この1年で、特に知り合いでもない人から「お願い」されるのに、「そうだよね」とはわかってるけどムッとしたことは少なからずあるはずだ。

だったら、知ってる人、それもリアルな関わりのある人と繋がることで、物事の捉え方も変わるんじゃないか、と仮説を立てた。
ぼくの場合は「学校の先生」でありながら、「地元で動いてる人」だ。動いてる中でいろんな人に会うことが増えたから、自分でも「こういう人がいる」と、これまで遠かった世界に知り合いができて、その世界が近くなった感覚があった。

ただ、それは知ってもらうことを狙ってはいけない。あくまで自分でコントロールできない、延長線上の話だ。他人の期待を勝手に背負うことは結構きついし、自分自身のやりたいことにノイズが入る。「結果論」でいいのだ。

ぼくのことが知られることで、でもそれはあくまで「結果論」として、

「学校にもそういう先生がいる」
「先生にもそういう人がいる」

と、離れた世界が少しでも繋がれば、と思う。

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