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人と話をすること

最近は、人と話すことがすごく楽しいと感じる。これは自分の中でのけっこう大きな変化だと思う。

もともと私は人見知りだし、仲の深い友人と話すことは好きだったけれど、狭く深くタイプだし、知らない人や、より多くの人と話してみたいという欲求がなかった。

それって今思えば自分のことで精一杯で、自分に意識が向いてたからなのかなとも思うんだけど、本を読む中で、Podcastを聴く中で、自分以外の人の思考って面白いんだなということに気がついた。


接客業をすることで、人見知りな自分を克服したいという気持ちもあった。

確かに、接客というのはたくさんのいろいろなお客様とお話をすることで、特に私のやっていた仕事では関係構築が重要だったので、まずは自分が心を開くとかそういうことが重要で、人見知りだとかは言っていられない状況にあって、結果的にはどんな人ともフラットにお話をするということができるようになったのかなと思う。

でも関係を構築するとか、相手のことを知るとかっていうのは、人に興味がないとできないことなんだよなあって、今思う。それには、まず自分自身のことをよく知ることが大切だし、いろいろな考えの人が生きていて、自分と同じことなんてまずないということを理解することが大切だし、それを理解しているからこそ相手の意見を受け入れたりとか尊重することができるのだなと思ったりする。


自分という軸がしっかりしてきたからこそ、相手にも興味が持てるようになり、話を聞くことが楽しいから、人と話すのが好きになるんだなって。人と話すことって自分が話をすることじゃなくて、お互いが意見交換をしたり、感情を共有したり、そういうことをしているんだなって。

当たり前でシンプルなことだけれど、それが心から楽しいなと最近思っている。

ここ最近は新しい環境に飛び込んだことで知り合う人が増えて、いろいろな人と話をする機会が多いんだけど、今まで知り合ってこなかった人と話をすることが楽しいし、いろいろな考えを持っていろいろな経験をして生きている人がたくさんいるんだということにわくわくしている。私ももっと楽しく生きていいんだって思える。もっといろいろな人と話してみたいなって素直に思う。


先日聴いていたゆとたわでオードリーの若林が言っていたことについての話をしていて、

“自分は内省を終えていて、そうなると(番組の)ゲストに来た人のボンネットを開けて人の中身を知りたくなる”

と。それにすごく納得したんだよね。


私は今までの自分の経験から、やりたいと思ったことを突き詰めて気がすむまでやってみて、そうしたら自然と次に進んでいけるのかな、次のところに目が向くようになるのかな、と思っていて。

だから自分のことを気がすむまで知って満足をすることが、その次の段階の、人に興味を持ったりとか与えたりとか、そういうことが自然とできるようになる流れなのかなって、腑に落ちたというか。

目に見えるわけではないけれど、自分の中でクリアしていく順番というものがあって、そういうものを積み重ねていくんだなって。


ゆとたわの他の回で、“この歳になってやっと自分のことを理解できるようになる“ということを話していて、ほんとうにそうだなと思って。今になってやっと分かったことがあるし、自分のことが分かってからの人生は、今までよりもさらに楽しいなとしみじみ思う。

と、ここまで書いて一つ前の投稿を読み返してみたら、人と話すことが楽しいと感じる、と書いていた。すっかり忘れていた。二度も同じことを書くなんて、よっぽど楽しいんだな。いいことだね。

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