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“人間全員おもしろい説”の話

今日聴いていたPodcast「ゆとりっ娘たちのたわごと」で話していたことがすごく面白かった。

ゆとたわ の存在自体は少し前から知っていて、PARKGORFさんとBUDDHAHOUSEさんのPodcast「2名」にゲストでゆとたわのお二人が出演していたり、ゆとたわ にさとうもかちゃんがゲストで出演していたり、好きな人たちと関わりがあったので気にはなっていた。それに、私も同世代でゆとり世代なので。


私はPodcastの番組を聴き始める時、一番初めの配信から聴くことにしている。それは話の全部を知りたいということと、その人たちの考え方が変わっていく様子が面白いと思うからなんだけど。

前に聴いていたものが最新話まで追いつきひと段落して、次はどの番組を聴こうかな、と思った時に、頭の隅にあった ゆとたわ をなんとなく聴き始めた。2017年から始まっている番組なので、アーカイブが多いのも嬉しいポイント。

いろいろなPodcastを聴いていると、話が長くなっちゃった、ということをよく耳にするのだけど、長ければ長いほど嬉しい、と個人的には思っている。だって、その人たちの会話を聴きたくてPodcastを聴いているのだから。いつまでも聴いていたいんだよね。


今日聴いていた回はこちら。

小林賢太郎さんと椎名林檎さんが出演されていた番組内で、小林賢太郎さんが話していた内容について紹介していた。

“森に制作をする場所を構えた
そこには自然があって動物たちがいるが、動物にどう思われようと自分が気にしていないことに気付いた
そこを逆算していくと、周りに人がいると、その人が他人であれどう思われているか気になっているっていうのが多少なりともあり、自意識がすごい強いということに気付いた

本当はみんなありのままでいたらすごい面白いはずなのに、こうしている自分 とか私はこう見られたい みたいな、そういうのが出た瞬間に殻みたいなものができて、分かりづらくなって面白くなくなる
だからみんなもっとありのままで良いのにね”


人間は皆、本来面白いものなのに、それが抑圧されてしまうことが勿体無いと。本当にそうだなと思った。緊張していたり、かしこまったりしていると自分の素が出せないまま、当たり障りのない会話になってしまう。そうすると、その人が見えてこない。自分が出せなかったと不完全燃焼になる。人は自分との違いに面白さを見出すのかな、と思った。

人と人は同じ部分があるから共感するし、それが見つかると近い存在に感じられて親近感が湧くんだけど、逆に違う部分があるから興味が湧いたり、その人自身をより好きになるのかな、と。自分にないものが人は好きなのかな。

表現はその人を表す、という話も面白い。ゆとたわの中ではダンスや演奏でも分かる、と話していた。確かにね。私も文章には結構表れやすいなと思っていたけど、むしろ、言葉を使わない表現には無意識の部分が滲み出るから、無自覚だから、本当のその人が出るよねと言っていた。


ゆとたわを聴いていると、というかPodcastを聴いていると、話を聞けば聞くほど、回数を重ねるほど、その話している人たちのことが好きになるんだよね。それはその人達の素を見せてくれているから、その人間が好きになる、ということだと思うんだけど。最近は ゆとたわ を毎日のように聴いていて、完全に生活の一部になっている。始めてくれてありがとう、の気持ち。

Podcastを聴くことは、友達同士の会話を聴いているのがただ楽しくて面白くて、娯楽の部分が大きい。それにプラスして、何かに気付かされたり、理解を深めたり、新しい考えに至ったり。いろいろな人の考えを聞けることが、ものすごく良い部分だなと思う。もう一度言うけど、配信してくれる人たちには、ありがとうの気持ちでしかない。


表現をしている人は、自分を見せてくれているから、オープンだから、人が好きになり集まるのだな、と改めて思ったな。私もありのままを、素を、どんどん見せていけるようになりたい。

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