アクティブ瞑想記録~慣れ過ぎた死
2024年最初のアクティブ瞑想会に参加してきました。
今回のテーマは年初にふさわしい『Life&Death』
テーマが分かった時、これは絶対行かなくちゃと思っての参加でした。
おたけは小3から祖父母と同居することになりました。
なので祖父母、両親、私、妹の6人家族になりました。
最盛期6人いた家族は、一人また一人と亡くなっていき、今では私と妹の2人しか生存しておらず、二人とも嫁に出たので元の家族は跡形もありません。
アラフィフのこの歳で身近な人を4人も看取っているというのは結構な数なんじゃないかと思う。
しかも老衰の祖母以外はみな突然死。
倒れて意識が戻らないままそのままあっけなく死んでしまいました。
母に関しては、当時45歳という若さでの死でした。
今の私より若い。
父はその時一人暮らしだったので、発見するまで3日ほどかかってしまいました。
こんな風に家族がどんどん死んでゆき、死に慣れ過ぎてしまっていました。
人って突然簡単に死んでしまう。
何なら両親に関しては、死んだ方が楽でいいよって思ってた。
生前の生き方が決して幸せそうじゃなかったから。
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そんな想いを抱えながらの今回の『Life&Death Meditation』
「生と死」の瞑想の前にまずは「ラフター瞑想」
前日の案内で「ラフター瞑想」をやると知った時、「あ~これ私の苦手なやつだな~。わけもなく大笑いさせられるやつだよな~」と思った。
泣くのはできても意味もなく笑うってホントにハードルが高い。
ベテランさん?達は、めちゃくちゃ上手に豪快に笑ってる。
あ、上手とか下手とかないんだろうけど、笑えって言われて笑えるのってマジですごいよな。私はそれが出来ないから絶対女優にはなれない。
そんなベテランさんたちを見ながら私も頑張って笑ってみたけれど、全然笑えてなかったと思う。
破れない殻がある。幼少期からずっとある。
殻破りたい。
どうしたら破れるんだろう。
「笑えない自分を笑いましょう」とアナウンスが入る。
そうなんだよ。笑えないんだよ。
今はこれで精一杯。
その後、メインの「Life&Death Meditation」
面白いと思ったのは、「自分が死んで燃やされるところをイメージする」というパート。聞いただけでワクワクしてしまった。
なぜなら、燃やされて自由になってみたいって思ったから。
仰向けに横になって目を閉じる。
「足元からゆっくりゆっくり燃えていきます」みたいなアナウンスが聞こえる。
私は早く焼かれたくて一瞬で火に包まれてしまったので、え~遅いよ~ってなって、もう一度ゆっくり足元から炎が上がってくるのをイメージしてみたのだが、炎がふくらはぎあたりに来たところでどこか別のところへ行ってしまった。
その後はどこか分からない世界であれこれしょうもないことが頭を駆け巡っていた。
あはは。結局死んでも大したこと考えないんじゃないか (笑)
私は今でもふと母を思い出し、「お母さんっ」って頼りにしてしまいたくなる時がある。
生きている時は全然頼りにならなかった、いやむしろ、私が頼りにされていた感が否めない。
母が死んでから約30年ほどたつけれどそれでも思い出す。
ってことは、
生きてても死んでてても大して変わらないんじゃないか!
というのが今回の落としどころか????
死も生も大げさにとらえようと思えばそうできるし、どちらも大したことないよと思えばそう思えるような気がする。
落としどころがしょうもなくて、最後のシェアの時間にも皆が次々に言葉にしていく中、私は何も言えなかった。
でも、みんなのシェアにはウンウンと頷くことも多かったり、ほぉ~と感心することも沢山でございました。
毎回新鮮な体験ができるアクティブ瞑想。
まだまだ探求は続く!!
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