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8月12日ブルタオフ会の報告


少し遅くなったが、2024年8月12日にブルタオフ会に行って来たのでその様子をレポートしていこうかと思う。

たぶん緊張してた。なんたってあのブルタさんと会える時が来た。長い間Twitterでやり取りをしてきたけど、直接会うのは初めてで、僕はブルタさんにずっと会いたいとアピールしてたんだ。その度に「やだよお前なんか。ゼッテーやだ」と拒否され続けて来たけど、ついに会えるんだと思うと昂りが抑えられなかった。

僕は美大卒で、かつては絵を描くことに情熱を持っていたが、SNSでいじめられまくっせいで、今は自分の進む道を見失っていた。そんな時に声をかけてくれたのがブルタ界隈のみんなだった。だからこそ、今日のオフ会は僕にとって、何か新しい一歩を踏み出すきっかけになるのではないかという期待があった。

上野駅のドトールで待ち合わせだった。誰が決めたかわからないが、とにかくわかりづらかった。看板くらい出しといて欲しい。
店におどおどと入るとかんどるさんが出迎えてくれた!熱いキスをした!甘かった。あまりにも長い間キスをしたので、周りの人たちが僕たちのことをジロジロと見ていたけれど、そんなこと気にしなかった。

僕が着いた頃にはもう既にかんどる・ねむ太郎・深草さんが揃ってて、ブルタさんはさっきまでそこにいたのだがダツオさんを迎えに行ってるらしかった。

コーヒーを頼んで待っているとかんどるさんが生い立ちを語ってくれた。かんどるさんは実はここら辺(上野)で生まれたらしい。戦後間もない頃、名もない病院で産婆に引っ張らられながらようやく生まれた。物資難で、かんどるさんの父親は今はアメ横があるバラックの並んだ闇市で給料1ヶ月分を出して新しいバスタオルを3枚買ってかんどるさんを包んだ、と聞いた。

「あの頃はみんな必死だった。上野なんてのは博打打ちかパンパンガールしかいない街だったのになぁ……」と喫茶店の窓から遠くを眺めてかんどるさんはつぶやいた。

そんな話をしていると、どかどかっと大袈裟な音を立ててブルタさんとダツオさんがドトールに入って来た。
ようやく今日のオフ会のメンバーが揃った感じだ。イカれたブルタさんは大柄で、山で過ごすことが多いと言うだけあって、日焼けした肌にトライバル模様のデジタルタトゥーが彫ってあった。ダツオさんは丸いメガネをかけてて可愛らしいオタクの女の子という感じ。深草さん、哲学者らしい佇まいで考え事をしている表情が粘土のように顔に固まっている。しかし挨拶をすると意外とフレンドリーだった。かんどるさんはエリートサラリーマンらしく、どこか自信に満ちた態度で周りに気を使わない堂々とした姿勢が印象的だった。ねむ太郎さん、伸ばしきった顎髭と深く被った帽子の奥に親しみやすい雰囲気が伺える。東南アジアでのハッカー経験を持つという異色の経歴。

ブルタさん
かんどるさん
ねむ太郎さん
深草
ダツオさん

集まったメンバーでまず科博に向かった。ちょうど特別展が開催されており、さまざまな芸術作品が展示されていた。館内を歩きながら思い出した。実は学生時代は博物館学を専攻していたが、SNSでいじめられまくって心を痛め学芸員の夢を諦めてしまったことがある。博物館のひんやりとした部屋に入ると、必死で勉学に沈潜していたあの時の冷たい情熱が蘇ってくる。

ブルタさんと始祖鳥
フタバスズキリュウ
変わり果てた深草さんの姿
科学博物館前にあったポケモンのマンホール
僕以外、世代じゃなかったことにジャネギャプを感じざるを得なかった。


日本館の一画でちょうど高山植物に関する展示がされていた。ブルタさんは展示物を見ながら感想をポツリポツリとつぶやきだした。
「これ、山の中で見た風景を思い出すな……」
自然と芸術の結びつきを語るブルタさんの言葉に、僕はふと博物館というホワイトボックスが自然(あるいはその自然の所属する土地)に対して行っている文化帝国主義的な態度について思い起こした。
博物館はしばしばホワイトボックス、すなわち中立的・客観的な空間として展示物を「純粋な」芸術作品として鑑賞させ、そこにある歴史的背景や環境的コンテクストを無意識に隠蔽してきた。博物館の展示物は本来の風景や土着から切り離され、鑑賞者には無垢で普遍的な価値を持つものとして提示される。しかしこの「中立的」とされる空間の裏には実際には帝国主義的生活様式や環境破壊を黙視してきた経緯がある。

「本当はこの花はここではなく山にあるべきなんだ」
僕がそういうとブルタさんは「脱博物館/美術館」の文脈でランドアートについて話し出した。

ブルタ「おっしゃ、ランドアートの歴史や概念について話すぜ!ランドアートってのは、1960年代後半にアメリカで生まれたアートの一形態だな。当時の芸術家たちは、ギャラリーとか美術館みたいな『ホワイトボックス』に対する反発心から、自然を舞台にして創作活動を始めたんだ。彼らは大自然そのものをキャンバスにして、巨大なスケールの作品を作り出したんだ。例えば、ロバート・スミッソンの〈スパイラル・ジェティ〉ってやつが有名だな。ユタ州の塩湖に石を使って巨大なスパイラルを作り上げたんだけど、これが自然と人工の境界を曖昧にしちまうような、すげえインパクトのある作品だ。
ランドアートは、環境問題とか、自然との共存についてのメッセージを込めたものが多いんだ。芸術家たちは、大自然の力を借りて、自分たちの作品が時とともに風化したり、変化したりすることをも受け入れてる。要するに、ランドアートは自然そのものの一部になっちまうんだな。まるで、自然が作品を作ってるかのように感じさせるんだ。
また、このランドアートは一種の反骨精神の現れでもあるんだ。都市部での芸術活動が商業化されていく中で、芸術家たちはあえて都会を離れ、大自然の中で自由な創作を求めたんだよ。これがまた、権力や文化帝国主義への挑戦としても捉えられるんだ。
以上、こんな感じでランドアートは自然と共鳴し、歴史や概念に深い意味を持つ芸術だぜ。覚えとけよ!」
と語ってくれた。

博物館での見学を終えると、皆で酒場へと向かった。静かな時空から一転、酒場では賑やかな雰囲気が漂い、途中からメテオさんも参加してさらに盛り上がり、教養人である僕たちは思わず俳句を詠み始めた。

足垂らし涼みゐるなりケルンの端
ブルタ

すれ違うたび学歴問いし登山者に
かんどる

晩夏光ひとりで歩く神保町
だつお

夏休み化石の瞼見つめをり
深草

君だけが風景だったあの夏の
愛野

そういえば空を見つめる坂本九忌
メテンミじゃぱん


酒場を出ると、ブルタさんが「山に登りたい」と言い出した。山なんて東京にはないよというと、神保町にあるから行こう!と。
神保町に行くと静かな街並みと明かりが灯る古書街に夏の夜風が心地よく、皆の頬を優しく撫でる。

ブルタさんが「さぁ、これから登山だ!」と豪快に言い放つと、一同は笑いながらその提案に応じた。神保町には山なんてない、というのが普通の認識だが、ブルタさんらはその言葉通り、この街の中で「登山」をしようというのだ。

神保町の狭い路地を進むと、ブルタさんはとある古本屋の前で足を止めた。「ここが山の入り口だ!」と言いながら扉を開けると店内に天井まで届くような本の山がそびえ立っていた。

「さぁ、登るぞ!」とブルタが本の山に手をかけると、一同はそれぞれ自分が気になる書籍を手に取りながら、まるで本の頂上を目指すようにページをめくり始めた。これこそがブルタの言う「山」だったのだ。

僕は山の中から一冊の詩集を選び、そのの美しさに心を奪われた。メンバーたちは思い思いに本を手に取り、各々の知識の山を登っていった。

数時間が過ぎ、ブルタさんが手に持った古い地図を広げた。中からおにぎりが7人分出てきた。
「山頂で友達とおにぎりを食べるのが夢だったんだ」
上を見上げると天蓋に張り付いたように美しい星霜が広がっていた。僕らはいつの間にか「山頂」に着いていたことに気がついた。僕たちは輪になっておにぎりを頬張りながら、しばらく語りあい、また黙って見つめあったりした。男同士、裸の付き合いだった。

山を降りて古本屋を後にした。夜風に当たりながら神保町の街並みを歩いた。ふと僕が「もっと星が見たい」とつぶやくと、ブルタさんが再び豪快に笑った。「星を見に行くなら、ちょっと郊外に出なきゃな。そうだ高尾山なんてどうだ、あそこにも『山』があるぞ」と言って次のオフ会の約束を取り付けた。

こうして、僕らの「登山」は終わりを迎えた。心の中にはたぶんそれぞれの山頂で見た景色が鮮明に焼き付いていると思う。

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