「コンビニ人間」

昨日はコンビニ人間という本を、軽い気持ちで読み始めて一気に終わらせてしまいました。

読みやすいんだけれども、とてもいい気付きをくれた小説。

その翌日、たまたま見ていたyoutubeと合わせて、何というタイミングなんだろう、、、と気付きの巡り合わせに感謝しました。

ここ最近、小説ではノルウェイの森しかり、社会に上手く適合出来ない人を描いた物をよく読んでいる気がするのだけれど、コンビニ人間を読んで改めて「え、もしかしてあたしってやっぱり社会不適合者、、、???」という思いが出てきました。

日本の会社で働いた経験どころか、社会人として暮らした経験も無く、外国でフラフラと生活をしているという自分がまぁ、割と世間一般の枠からはみ出る存在であることは一応自覚しているのですが。自分の考え方は普通だし、常識は持ち合わせているし、世間の感覚がどういうものかは把握しているし、それなりに適応出来ていると思っていたのです。だけど、この話を読み進めていくうちに、主人公の気持ちもとてもよくわかるな、と思いました。

周りの人の話し方、表情の作り方、声の出し方から、服装、一挙一動を観察して、取り込んで、そこに馴染む「自分」を作り上げていく。そのコミュニティに馴染ませていく。

自分も同じように、人の観察をして、そこで求められる発言などを提供するのが得意だから、上手にコミュニケーションを取って人間関係を作って来たんだなと自覚する反面、だからこそ、そういう風なコミュニケーションの形にずっと違和感を感じ、それを続ける事に疲れ、そこに疑問を感じてしまって馴染めなくて疎外感を感じ、自分はどこかアウトサイダーなんだと思いながら生きて来たような気がします。「あたしはダサい」とか根底で思ってるくらいだから、日本のお洒落女子達への馴染めなさも半端なかったし。笑

そして、オープンマインドに見えつつ、実は自分の経験と偏った考えに固執しているし、世間一般の人は何故か知っているような「人生の楽しみ方」とか「器用に生きる」「情報を取りにいく」という事を自分は本当に知らなくて、「え!!!そんな風にみんな生きてたの!?!?!?」と後から気付くパターンが多い気がするのは、あたしが猪年だからかなと、勝手に運命のせいにして気を落ち着かせています。笑 

コンビニ人間の話の終わりはあたしにはとても力強く感じられたけど、「生きる方法を教えてくれたら楽なのに、、、」という思いは自分の中にすごく印象的に残りました。変なところに拘って、人生を進められなかったり、一般的な生き方が出来なかったりさ。人生の横道に逸れるのは得意技なので、当初の目的を忘れて突っ走っていることもしばしば。誰か止めて、、、。アドバイスください。。。

その翌日、「社会不適合者、人生の器用な進め方を知らない自分」という新たな自覚を持ちながら軽く聞いていたyoutubeでは、こんなにも大変な気持ちを経験している人がこんなに多い社会って何なんだろう、、、と思いながら、自分の経験にも通じる、共感出来るようなお話を聞けました。

最後にゲストの方が言われていた、「ありのままで生きるって大変」というのは、本当にそうだなぁ、、、と。そのままの自分を認めてもいないのに、受け入れてもいないのにありのままで生きるってのは無理な話で。だからこそ、他の人になろうとしたり、一生懸命世間の普通になろうとしたり。でもそこにギャップが出て来て、もう限界って心身共に病気になったりする。ダメな部分も、「普通」には全く当てはまらなくても、ダサくても(笑)、それが自分なんだと思えてからが本当に生きるという事。

でもそういう風に生きるのってパワーがいるので、ふと弱気になった瞬間に、軸がブレて他の人になろうとしたりしちゃうのよね。

大嵐が来た時に、踏ん張るのってとても力がいる。

折れてしまったら楽になるのにってついつい思ってしまう。

だけど、折れてしまったら、後はもう朽ちて土に帰るか、誰かに運んでもらって何か別の物に形を帰るだけの人生で、上に伸びていく自分の人生は終わっちゃうのよね。

だからそういう大嵐の時に、支えてもらえる様に、「あたしもう折れそうなんだけど!」て言える人を周りに持っておく。防風堤になってくれる様な逞しい人を見つけておくって大事だなと思います。

ありのままで生きるってパワーをすごく使う事だけれど、でも、だからこそ一番自分が力強く生きられる道であり。いつもお気楽じゃないかも知れないけど、でもやっぱり楽しい生き方だと思っています。

そういう生き方をするインスピレーションを与えたり、サポートをする存在になりたいなと思いながら今日も生きるのでございます。


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