見出し画像

アパート【#1】

 築年数の割に妙に古く感じるアパートに住んでいた。 

 平成が2桁を迎え、そのアパートは築15年。「古い」と呼ぶには少し早い。周りに高い建物がない中で10階建てのアパートはエレベーターもあり、日当たりがよく、風がよく通る。3DKの居室を多く揃えた家族向けのアパートは良物件だった。難を上げるならバストイレが一緒の不便さはあったかもしれない。


核家族の増えた街にあるアパートには子どもも多く、踊り場や拓けた廊下は子ども達の恰好の遊び場だった。

まだ寛容な時代。居住者でない家庭の子も多く集まり、全フロアを存分に活用した鬼ごっこを咎める大人もなく、賑やかな声がいつも聞こえた。たまに度が過ぎれば怖いおじさんに叱られたが、それもただのイベントの一つ、これを怖がるのは子どもたちにとって格好悪いことだった。


 そんな子どもの1人だったリンは1人ではアパート内を自由に歩けない。1人は怖かった。

 リンは、よその家から遊びに来た子ではない。このアパートの一室に両親と暮らす子なのに、誰かと一緒でなければ何故か「怖い」と思った。自身の居室のある階の廊下も、肩を強ばらせ俯き加減に早歩きする。

 登下校では、一階のホールで友人と会うまで気が気じゃない。遊び疲れた帰宅後にお使いを頼まれればとても気が滅入る。1人でこの家の廊下を往復させるのか。

 ごっこ遊びの敵から逃げるのは冷や冷やしながらもそのスリルが楽しい。でもそれは周りにたくさん友だちがいるからで、夕方になり各々が家に帰り人気のなくなれば、静かな廊下が、階段がとても恐ろしく感じた。


 とにかくアパート全体の活気がなくなり建物が瞬くまに老け込んだような雰囲気。
「死んだように静か」だとは思わない。
 無邪気な様相が一変、老人のような秘めた静けさだと思った。
  このアパートは「生き物」だと彼女にはうつっていた。


 こんなこと、友だちには言えない。でも母には話していた。専業主婦で家にいる母にとって室内にも聞こえる廊下をバタバタと走ってくる娘の足音は彼女の帰宅の合図だったので。

  ーーただでさえ、アンタたちうるさくしてるでしょう。近所迷惑なんだから、遊んでない時くらい静かにしてくれたらいいのに。

 そう注意された事は一度ではない。その通りだと思うけど怖いものは怖かったので聞き流していたが。そのうちいつもより母の顔が怒っていることに気づいた日に、
 だってなんだか怖いんだよ、と白状したのだ。

  ーー遊んでる時は平気なんだけど、1人でいるとなんだか怖くて勝手に早足になっちゃうんだよ。優しかったお家が知らないお家になったみたいで怖いんだもん。

  母の表情は、すぐ和らいだが思案した様子だった。注意するしかめ面よりはマシだが、大人の考え事をする表情もなかなか子どもには嫌なものだ。なんだか罰が悪い。伺うような視線を向けると、

 確かにねぇ、1人だとなんだか見られてるような気持ちになるのよねぇ。と呟くように言った。
 建物って出来上がってすぐには、人の前に「別のもの」が先に住むっていうからねぇ。

 リンはギョッとした。お化けなんてないさと、あり得ないことを言うんじゃないよと、馬鹿にしてくれたら、少しは気が晴れたかもしれないのに。

気のせいだよと言ってもらえるものだと思ったら、肯定されるなんて思いもよらなかった!




  何よりも、恐怖の正体を、「見られてる」という感覚を理解したくなかった。
無邪気に子どもたちを見守るこの建物は、1人になった私を、老人のような静かな目線で、じぃっと観察しているのだ、なにかを酷薄さを秘めた目線で。



…あれ、あんまり怖くならないなぁ

 ほんとに、実家の雰囲気は明るいのに怖さもあって不思議な空間だったんですが。

…こんな風に幼少期の思い出や腑に落ちない出来事を、時に楽しく時に怖く書き出してみようかと思っています。一部記憶との齟齬があったり子どもだったときの感情の増幅による誇張表現を加えた回顧録なので、あくまで事実に基づく物語としてお読みください。   あの

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?