アパート【#2】
「新しい家には人の前に何かが居付く」
りんが学校で借りた怖い話の短編集。その中にそんな話があった。
新しい家には、何かが先に住む
それは普段人に見えるものではなく、また良いものも悪いものもいる
それが新しく住む人を検分して、共有しても良いと思った人間だけがその部屋に長く住める
引っ越しばかりの住宅、何をやっても閉店するテナント。そんな部屋には、何が住んでいるんだろう…
そんな感じの内容を祖母と孫が話している物語だった。陰気な気配の建物を不気味に思った孫が祖母に質問して、そして上記のような会話をすのだ。
この話を読んだ時りんに思い浮かんだのは自身のアパートではなく、近所の別のアパートの一階のテナントだ。
よく利用するスーパーの道中にあるそのテナントは開店祝いの花が並んだ数ヶ月後には、がらんとした元の空き部屋に戻っており入り口のガラスに「入居者募集中」の不動産屋の紙が貼られる。
雑貨屋、床屋、コンビニだったこともある。りんにはよく分からない事務所だったこともあった。
それでもなかなか定着できないのだ。交通量が多く、道が混みやすいが、3台は止められる駐車場がある。立地が悪いとも言い切れないのに。
「あれ!もう閉店してる…結局行くことなかったね」
りんが小さい頃通ってた保育園の近くだったこともあり、小学2年生になった今までに2回くらいはそんな会話を母としたような気もする。
「このテナントは何をやってもダメ。」
話題にしなくともなんとなく、誰もがそう思ってるような貸店舗だった。
だから図書館でそんな話を読んだとき、日本中どこにでも似たようなお店はあるんだな。と、子供ながらに思った。
収録されている他の話があまりに恐ろしくて、そう気に留めるような話でもなかった。
※
だのに、りんの住んでいるアパートにもそんな「何か」が住み着いているというの!?
りんが母の発言にギョッとさせられたのは、そういう本を読んだあとに母がそんな事を言ったからだった。
りんはなんでも母に話して聞いてもらいたい子だったので、勿論この話もしてみた。
ーーお母さん、実はこんなお話があってね…
母は夕食の準備で背中を向けていたが、しっかりうんうんと声に出して相槌を打ち聴いてくれた。そして晴れやかな笑顔で
ーーそうそう!お母さんもそういうことが言いたかったのよー。
なんて言った。りんはなんだか悔しくなった。
ーーお母さんは、この家にそんなの住んでいたら嫌じゃないの?
ーー悪さをする訳じゃないのよ。きっと。それに私たち誰も驚かされたり、怖い目に遭わされたりしてないじゃない。
ま、りんは怖ーいみたいだけど。
母は意地悪そうに振り返りながらそう言った。ムッとしたりんは、すぐシンクに向き直った母のお尻をぎゅっとつねりながら抱きついた。
そんなりんに母は笑いながらおしくらまんじゅうみたいにりんを跳ね飛ばそうとしたりして、りんはなんだか楽しくなった。なんだかもう怖くない。
りんはいつも通りに台拭きを受け取り、テレビのある部屋のちゃぶ台を拭いて箸や取り皿を並べ、父の帰りを待ちながら夕食までの間、宿題を広げた。
※
テレビが面白くてなかなかなかなか宿題は進まなかった。入浴もなかなか入ろうとせずテレビに夢中になってたりんは、母に叱られ父にため息を吐かれながらテレビを消されて。眠る時間になるまでにはすっかり半べそ状態だった。
夜の10時を過ぎて、「自分の部屋があってよかった」布団に潜りながらそう思った。こんなべそべそのまま両親と並んで眠る勇気はなかった。
ホントは10時からクラスの子達なら大体みてるバラエティを観たかったけど、今日そんな事を言えば父にまで大目玉を喰らうだろう。夕飯を食べみんなで過ごすテレビのある部屋からは、りんが部屋に引っ込んですぐテレビをつけただろうと父がそのバラエティを見ながら笑う声がする。
いいなぁと思いながら、りんは窓の方に目を向けた。
りんの子供部屋は玄関のすぐ隣にある。ダイニングキッチンを取り囲んだ一室の一つで唯一の洋間。広すぎず台所からよく見えるその部屋は子供部屋にうってつけで。同じ間取りに住んでいる子供なら大体の子はこの部屋をあてがわられることは多かったらしい。
玄関の隣でアパートの廊下に面した窓は部屋に比べてなかなか大きい。プライバシーや防犯の観点から全面が磨りガラスで格子もしっかりされている。西向きなので日当たりはそこまで良くないから窓が大きかったのかもしれない。
大きな窓はこどものりんの胸の高さほどに設置されており、友人が玄関からではなく窓から部屋で過ごすりんに声をかけることもよくあった。
廊下を他の居室の住人が歩けば目が合うこともあった。りんの家族の住む居室は階段横なので、どうしても人がりんの部屋の前を通る。
りんだって覗くつもりはなくても、つい他の居室の窓をふと見てしまうことはある。
自分の部屋の前を人が通る時「私はあなたに気づいてませんよ」というように窓から目を離すのは、他の部屋の住人から学んだ集団生活のルールだった。誰かが廊下を歩く足音がしてきたら、何か作業しているふりなどしてやり過ごす。
ただやっぱり気まずいものはあるので、暑くない限りその窓が網戸の状態に開け放たれている子供部屋は少なかったように思う。
磨りガラスの窓では、閉じた状態でも人影が通るのはわかる。普段なら気にしないが、不意打ちでスッと人が横切るのはとても驚く。なので窓を閉じた上でカーテンもしっかり閉めておくのは当たり前だ。
怒られた事を振り返りながらそのまま今日1日を反芻する。怒られなければ他の出来事はいいことばかりだった。授業は楽しかったし休み時間も楽しかった。給食はいつも美味しくないけどデザートにヨーグルトがついていて嬉しかった。
お母さんのお尻が大きくて、大きいって言ったら笑ってつねる真似をされたな。
ーーなんで、お母さんのお尻を、つねってみたんだっけ?
思い出したくない事を思い出した。
そう、何かがこのアパートには居るのだ。
人間ではない、何か別のもの。
今まで、建物自体が怖いと思っていた。
まるで生き物のように息をするアパート。私たちの生活を見守っているのか、見張っているのか分からない妙な息苦しさ。
そう、今まで思っていたが、どうやらそうではないらしい。
建物には「何か」が先に住み着くらしい。
そして次にやってきた人間を見定める。
どの家にもそんな存在があって、このアパートにもそれは居たのだ。
毎日、りんを後ろから見つめているのだろうか。
りんはようやく浮上した心が冷え冷えとしてきたように感じた。
妙に慎重な心地で布団の中で寝返りを打つと、あの大きな窓があった。今日に限ってカーテンを閉め忘れた。
なんとなく布団から出るのが億劫だ。
廊下につけられた天井照明の光で、廊下は明るい。月明かりなんかより煌々と光が差している。磨りガラスでも明かりは差し込む。さっきまでは気にならなかった窓の明るさが嫌になった。さっきまでは全く気にならなかったのに。
じっと窓を見ながら考えていれば磨りガラスの向こうを人影が通り過ぎて行った。ゆっくりとした足取りなのか、人影が通り過ぎて見えなくなってしまうまでにいつもより時間がかかって見えた。
お隣のお姉ちゃんは高校生というものになってから、どこかで働いて帰ってくるらしい。バイトとかいうもので楽しいけど疲れるし朝は眠いらしい。ちょっと前とは別の制服に身を包む彼女は出かけるタイミングが被った時にそう言ってダラダラと歩いていた。
きっとお姉ちゃんだ。そうに違いない。
弱虫な思考に陥っていたりんは、本当にあれがお隣の女子高生なのか自信が持てない。祈るような気持ちでそう思おうと頑張った。
ーーもう、カーテンは、いいや。
眩しいけど、さっきまで気にならなかったもん。
先よりも物音を立てないよう慎重に寝返りを打ち窓に背を向ける。そして頭まですっぽりと布団をかぶった。早めに出された夏用の掛け物は、それでも頭からすっぽりかぶれば窓の開いていない部屋では暑苦しさ感じた。
ところで、アパートというのはたくさんの部屋がある。1つの階に6部屋、階によって間取りは異なっても10階建てのこのアパートなら部屋数も相当だ。
このアパートができた10年前。きっと「別の何か」は住み着いた。やはり、りんが感じていた無邪気ででもどこか老人のような性格のものなのだろうか。
そもそも、それは建物に1つ住むのか。各部屋に住み着くのか。
あのお話では、同じ陰気な建物の中で一部屋だけ埋まらない部屋があるのを孫は不気味がっていた。
この街にあるなかなか長く経営が続かないテナント、その上はアパートだが、居住者が少ないなんてこともなくあの店舗だけが異質だった。
なら、「何か」は各部屋にいるのだろうか。
でもりんは部屋の中を怖いと思ったことはない。この部屋に住む「別のもの」は優しいものなのだろうか。
だとしたら、それは廊下、階段にも複数いるものなのだろうか。
見られてると思ったことはなかったが、母は見られてるという。複数のものがあちこちからこちらの動向を伺っているのだろうか。
それはどんな気持ちでこちらを見ているのたまろう。
いろいろ考えてしまうと、余計に窓を見れなくなってしまった。もはやカーテンどころではない。
それがこちらを窓から覗いているかもしれないのだ。小さくまるまるりんをじっと見つめているかもしれない。
りんは寝相も悪いが寝付くまでに時間のかかる子で、なかなか寝付けない時は何度も寝返りを打ってあれこれいろんな事を考える。
今日はそんな事出来なかった。
寝返りをせずなるべく動かず、じっと息すら静かに回数を減らす。どんなに布団の中が暑くても、もう怖くて怖くてその暑さを受け入れるしかなかった。
部屋にポツンとできた布団の繭に夜風が涼しく拭き、りんの背中を優しく撫ぜた。
中学に上がるまで、10時過ぎには寝るように言われてました。大人になるまでスマ◯マを見たことがありませんでした。
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