父の葬儀が終わりました。
楽しい投稿をモットーに!!ということで、noteを始めたのですが、今回ばかりは『どこかに父がいたこと』を残すためのnoteとさせて下さい。
整理がついてない為、かなりの乱文・時系列の合わない文章をご了承ください。
父が投稿日である2022年2月25日の今朝、亡くなりました。
今日知ったのですが、病名は肺腺がん。
治療を去年の5月から行っていて、自宅へ帰っては入院を繰り返していました。
今日の午後に、最期になるかもしれないからと病院側が普段の方法を変更して予約を取ってくれて、15:30から父とZoomという形で会話をする予定でした。
母と私・弟達が病院に着く10分前に静かに亡くなったそうです。10~20分くらい待って、話してから天国へ行くことくらい出来たじゃん。午後話すって言ったじゃん。最期になるなら、1回くらいまともに話させてよ。
そんな気持ちになったこと・目の前に死んだ父がいる恐怖が込み上げてきて、脱力しパニックになりながらも理性を保てていたことも書き記しておきます。
母から初めて伝えられた時は、詳細は伝えてもらえませんでした。だって昨日まで元気だったじゃん。と意味が分からなくて『きっとすぐに治るでしょ』という希望や願望を元に、聞いていました。
母から癌なんだよと伝えられる前に、私は父を怒らせてしまうようなことを無意識に言ってしまい、『怖い』という気持ちから挨拶や前よりも会話をしませんでした。
私は、とある精神的な病気を持ってます。
でも、それは治らないけど人体に影響はありません。あったとしても頭痛やめまいなど、傍から見れば『普通の』症状です。
父は、最初は家にいてもとても元気でいたし、普通に過ごしていたので、『なんだ、もうすぐ治るのかな』・『癌って言っても、治ることもきっとあるんだ』と考えてました。
今思うと、馬鹿だなと思います。
先月、自宅で酸素を吸入するための機械と管を導入しました。日に日にセピア色になって、髪も声も薄くなっていく父を見ていて、目を背けていたこと。
きっと父ならまた元気になると信じて、もう少し元気になったらたまに、最近のゲームでも一緒にやらせてあげようと思ってました。
私と父に血の繋がりはないし、再婚した母をすぐ捨てるような前父と同じクズなんだこの人も。と初めて会った時は思っていたし、何より小学生の私からしたら、『大好きなお母さんを奪う悪者』とでも思ってた気がします。
無口すぎて何考えてるか分からないし、笑顔も少ない。なんかリビングへ行けば、『〇〇しとけ』ってうるさい。大体身長が大きすぎて怖い。
そんな風に思って、過ごしていた私馬鹿かよと思いながらも、初めてあった小学4年生の頃から14~15年程。
きっと父は、母や私と弟達を想って毎日黙々と働いてくれていました。死んだ後で感謝をするなんて変かもしれませんが、凄い人でした。
Zoomで話すと聞いたのが2日前。
お父さんと同じ誕生日の人でね、めちゃくちゃ馬鹿だし、たまに話してる内容は伝わらないような人で自由だし、働く場所もまだ不安定だけど、きっと私を幸せにしてくれる人に出会えたよ。だから、安心してね。
あと、もう一つ。
お母さんを幸せにしてくれてありがとう。
そう伝えられるタイミングを逃して、亡くなりました。
おばあちゃんや叔父さんも来てくれましたが、病室へ行けたのはおばあちゃんだけで、霊安室で亡くなった父と会うことになりました。
叔母さんの方は、病院や自宅までの距離が遠いので自宅で父と会うことになりました。
叔父は弟の前でも強くいようと、泣いてるとこは見ませんでした。叔母は、兄である父を見て少し泣いていました。
父は、亡くなってから2~3日間は自宅にいましたが、残りの数日間は葬儀場にて保管されていました。葬儀場の保管室は、遺族が出入り出来るようになっていた為、ほぼ毎日父のとこへ家族で行って、30分ほど父に話しかけたりや家族で話し合う時間にしていました。
大きな冷凍庫に入れられて、豪華な白い箱に入って冷たくなった父を見るのは本当に辛かったです。少し太ってきた1年前の父からは想像が出来ないほど、細く肉も減っていました。
自宅へいた際、父へ今までの気持ちや今までダメな娘であったこと・立派な娘でいられなかったことへの謝罪・再婚した母を幸せにしてくれた父への精一杯の感謝を伝えました。
彼氏を合わせたかったとも伝えました。
現在、彼氏とは別れを告げてしまった為、父へそれは叶わないものになりました。
また新しい出会いをして『親に会わせるに値する人』を見つけたら、必ず父へ報告するつもりです。母が亡くなる前に言うつもりです。
3月6日と7日に、湯灌(ゆかん)・通夜・告別式・火葬を執り行いました。
湯灌を初めて見ました。
やり方は色々あるのかもしれませんが、父のところは一つ一つの礼儀作法は綺麗でありながらも、こちら側・父への配慮も忘れないスタッフさんの姿は素晴らしかったです。
シャンプー・リンスしてくれるんだ…。身体もタオル越しで綺麗にしてくれるんだ…凄い。と思いました。
それと同時に、着実に父がこの世から消えていくのだと実感して悲しくなりました。
通夜・告別式には、たくさんの方がいらっしゃいました。
父のいた会社の方々・親友の皆様が受付をしてくれて、円滑に進められました。
会社の方と初めて会ったのですが、いかつくて優しそうな方が多かったです。
通夜の日、広島からも親戚の方が来てくれました。気を遣ってもみじ饅頭まで頂き、『またおいで』と言われて嬉しかったです。
焼香のタイミングで、1日目は席で焼香をしてくれる方へお辞儀をし続けていました。
しかし、母や私は特に深々とお辞儀をしていたのをスタッフさんが見ていて身体への負担を心配したようで、2日目は出口前でお辞儀をしてました。
告別式でたくさんの花々に囲まれた父。
私は泣かない、悲しいのはおばあちゃんやお母さんなんだからってずっと考えていました。
でも、育ててくれた父が亡くなってしまったこと・これから火葬される事実が悲しくてたまらなくて、花を添え続けて悲しくて辛くて後悔ばかりで、ずっとずっとずっと泣いてました。
火葬場へ歩いて行く時も、火葬場へ入った時も、ずっと泣いてました。
火葬場へ入った瞬間、『ここ、大嫌い』と、声に出てた気がします。
父を燃やさなくてもいいじゃん。と思ってしまったんだと思います。
目の前で、ゆっくりとエレベーターのような場所へ入っていく父。火葬場へ入っていく父。
もっと話しておけば。
あいさつだけでも毎日しておけば。
私がしっかりしていれば。
心配ばかりかけてしまった。
ごめんなさい。
そんな気持ちでいっぱいでした。
火葬を待つ間、4人で近くを散歩しました。
母は、『最期まで父は私の心配をしていた』と言ってました。
あんなに冷たくしたのに、話しかけすらしなかったのに心配できる人は中々いません。
父はすごい人だと思います。
火葬が終わって骨になり、あまりにも大きすぎて入り切らない父に苦笑いしながらも、無事に葬儀が滞りなく終わりました。
7日の夜、彼氏と喧嘩しました。
父のためにも、話すのを止めたら
『俺には関係ない』
『知らねぇよ』
そう言われて、悲しくなりました。
『親が亡くなる』ことは、普通であれば、一生で2回です。私はその1回を今回経験しました。
父との血の繋がりはありません。
小学生の頃、出会った父があまり好きではなかったけど、『FINAL FANTASY Ⅹ』の世界を、この世に美しくてワクワクする『ゲーム』を言葉はなくても背中で教えたのは父です。
HDリマスターを大人になってプレイしました。
父とやりたかったゲームでした。
お父さんが教えてくれたものはこんなに綺麗になって楽しくなったんだよって教えたかったです。
それも二度と叶いません。
どれだけ望んでも叶いません。
どれだけ後悔しても叶うことはありません。
二度と叶わないんです。
あのゲームは、『主人公とヒロインの恋』よりも『親子の愛』がメインテーマだったのだと、一番最期に思いました。
主人公のティーダも、最期にジェクトという父と対峙することになります。
目の前には、父でありながら父ではなくなってしまった『モンスター』。
『泣くぞ、また泣くぞ。』
そう息子に言いながらも、実は息子を一番心配していたジェクト。
不器用な父のジェクトは、まるで私の父みたいに今なら思えます。
私は、父のおかげでゲームが大好きになりました。キラキラしていて、美しい。
私自身、ドラゴンクエスト11もプレイして、『シルビアというキャラの騎士道や信念』を自分の教訓にしています。これは、またnoteにします。
母は時々嫌がりますが、最近は前よりかはゲームをしてることへ優しくなりました。
父はもうこの世にはいません。
母は、『自分の健康に気をつけて、私達が悲しむような死に方はしない』と宣言しました。
私は言いませんが、『もっと立派な娘になって、天国の父に立派に話せる日を目指す』と誓います。
弟は、2人。
今年、高校生と中学生になります。
家族が結束し合って、頑張ります。
少しでも、天国の父が笑顔で家に帰ってこられる日々を作るために。
これで以上にします。
ありがとうございました。
これからも、よろしくお願いします。
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