無難な道を選んできた人生だった

 常に将来を見据えて人生の選択をしてきた私が、医師の夫に捨てられて2児のシングルマザーになった。ドン底を楽しく生きぬいていく、そんな新しい価値観を手に入れたいと奮闘する様子を記録していく。

前回
あれ?どうしてこうなった?いつも未来を見据え人生を選択してきたはずなのに。待っていたのはドン底だった。|aina88 #note https://note.com/aina88/n/n9a556bcb367f

 幼い頃から堅実に生きてきた。貰ったお年玉は貯金し、本当に欲しいもののために積み立てる。テストで空欄を作るのが嫌で、わからないことはそのままにせず勉強する。小学生から始めたバレーボールではキャプテンを努め、県大会出場。
中学校はスポーツ特待生として私立の強豪チームに誘いを受けたのだが、思えばこの時の選択が私の人生の歩み方の核になっている。私は特待生になることを断ったのだ。

 本当は挑戦したくて、親とケンカもした。家出一歩手前までいった。しかし、この一言で、諦めた。

“バレーボールで飯は食えない"

あぁそうか。なぜかすっと納得できた。その当時の私は将来のことを考えると、勉強を疎かにする=人生を豊かにすることはできない。そう理解し諦めたのだ。義務教育の間は勉強をしてほしかった両親の勝利だ。


中学校では特別に頭が良かった訳ではないが、スポーツ特待生を断ったのだから勉強を疎かにしたくなかった。わからないところをそのままにするのが気持ち悪い性格で、それなりに勉強していた。そのおかげで、80点以下をとったことがなく常に成績は上位の方。3年生では学級委員長、部長を務める、いわゆる優等生の部類に入っていた。
夏の大会が終わったあと、3年前と同じ葛藤が現れることになる。また私立高校からスポーツ特待生の話が来たのだ。
この時も私は親の一言で諦めることとなった。

“勉強していなかったあの子と同じ学校に行くの?”

そうか、私が勉強していた間もあの子は遊んでいたんだ。せっかく勉強したのだから、その時間を無駄にしたくない。

また、私は無難な道を選んだ。

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