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私にとって大切なもの

「君が心をくれたから」の最終回を観て、涙が止まりませんでした。

でもそれは、とても温かい涙だったような気がしています。

私は普段、あまりTVを観ないのですが、愛する人のために五感を差し出す

という内容のインパクトが大きくて、これだけは観たいと強く思っていました。

スティーブ・ジョブズが毎朝鏡に問い掛けろと説いている言葉に、

「もし今日が人生最後の日なら、自分は何をするだろうか?」

というのがありますよね。みなさん、試してみられたことはありますか?

私は、体のバランスを崩して辛かった頃、「もしかしたら…」と悪い方に考えて、

不安な日々を過ごした経験があります。

ある日開き直って、生老病死はコントロールできない。

もし仮に死ぬとしたら、やらなければならないことが沢山ある。

もし生きるとしたら、それはそれで素晴らしい。

どりらに転んでも、どうすることもできない現実であるなら、

一度この感覚を味わって、しっかりと自分の生と向き合ってみよう!

そう考えた時があるんですね。

その時、ちょっとだけかもしれませんが、スティーブ・ジョブズの伝えたかった

ことが、分かったような感じがしました。

死んだら家も車もお金も・・・あの世には何も持って行けませんよね!

残された時間で自分は何を大切にしたいのだろう?

やりたい放題、好き放題にやって死にたいか・・・大切な家族や子供たちに迷惑

を掛けてまでやりたいことはありませんでした。

どこか旅行にでもいきたいか・・・行きたいけど、限られた時間の中では、

永遠に満たされることはないんだなと思いました。キリがない欲なのです。

本当に自分の心が喜び充足されることってなんだろう?

そんなことを真剣に考えたんですよね。

そして、それが今回のドラマとぴったりリンクしていたのです!

欲を言えば限りがありません。長く生きていても心が乾きっぱなしなら、

それは幸せだったと言えるのでしょうか?

感動的だったドラマに敬意を表しながら、今回は少し思索してみたいと思います。

【私たちが意識する世界】

[世界はあなたである]

様々な哲学者や仏教などの教えにもある通り、

事実として宇宙や地球は存在し、そこに「有る」わけですが、

真実としては、私たちが意識する世界が「有る」のであって、

意識できないものは「有るのに無い」「虚」の世界になってしまいますよね。

有ると言っても諸行無常で永遠なるものはなく、生者必滅の有限な時間の中で、

私たちは否応なく、選択をして生きているのだと思っています。

この概念は難しくて分かり難いものだと思いますが、

今回のドラマは「五感」を差し出すことによって、

この概念を巧みに表現されていたように感じました。

即ち、意識するために不可欠な要素である「私たちのセンサー」を、

愛する人のために差し出したわけです。

全てを感覚できなくなるということは、この世界が「虚」になってしまい、

生きながらにして死んでいるようなものですよね。

だから私は表現こそ違えど、愛する人に命をプレゼントした行為だと思います。

これ以上の愛はない。たった一人の人でも、そこまで愛されたら、

それに代わるものなんてないなぁと私は思うのです。

【私たちが与えられているもの】

[天地の造化]

ただ私自身、本来有限なはずの時間や掛け替えがないこの世界を「生きる」という

ことについて、真剣に考えているかといえば、そうではないんですよね。

頭では「有限」だとわかっていても、いつも目の前の欲にウキウキしたり、

不満をもったりしながら流されて行き、大切なものについて深く考えないのです。

スティーブ・ジョブズが余命を宣告されて分かったように、

私自身も死について真剣に向き合って少しだけ気づけたように、

大切なことなのに何も考えていないというのが、日常ではないでしょうか。

でも間違いなく終わりがあります。それは、もしかしたら明日かもしれません。

3ヶ月後かもしれません。年内かもしれません。

そう考えたら、桜を見ることができるのも、花火を見ることができるのも、

残すところたった一度限りかもしれないんですよね。

想像してみてください。なんてこの世界は美しいのでしょうか!

それはきっと命が輝いているからですよね。

エネルギーで満ち溢れていて、自然の生命が躍動していませんか?

この世界に生かされていること自体に、心が感謝で満たされてきませんか?

そんな気持ちで残された時間を思う時に、限られた時間をどう生きますか?

そして、その美しい世界は誰と共に過ごすことで輝きを増すのでしょう?

【自分が生まれてきた意味を問う】

[命の繋がり]

私は体調を崩していた時に、そんなことを考えました。

逞しく成長してくれた子供達、いつも私を支えてくれている妻、

年老いていく母親のことに想いを馳せながら、自分にできることは何かなって。

本当にやりたいことってなんだろうって。

そして、その時辿り着いた自分なりの答えが、「君が心をくれたから」で

描かれていたものと重なるように思います。

それは・・・「誰を幸せにしたいのか」・・・ではないでしょうか?

自分が幸せになりたいと願うのが通常だと思うのですが、

その「自分」をかけて、命をかけて大切にしたいものと出会うことが、

本当の自分の幸せにリンクしているような気がするのです。

「君が心(愛)をくれて僕を幸せにしてくれた」

「命をかけて僕を愛してくれて、僕はこの上なく幸せだった」

「でも僕は、君が幸せになってくれることこそが、僕の幸せなんだよ」

「だって、それが「僕が生まれてきた意味」だから」

私の人生の価値は、私が命をかけて大切にしてきたものに宿るんじゃないかな

そして、それが本当の充足なんじゃないかな。

「君が幸せに生きていること」「君が夢を叶えてくれたこと」

「君が僕のことを忘れないでいてくれること」

「君が僕を必要としてくれたこと」「君が僕に感謝してくれたこと」

全部、全部君が僕に与えてくれたことであり、僕の人生の価値なんだ。

そんなメッセージを、私はドラマから受け取りました。

だから、スティーブ・ジョブズの言う通り、僕は生きている限り、

僕に備わっている特質やセンス、強みなどを生かしながら、

精一杯の努力を重ねて、私に関わってくれる人を少しでも幸せにできるよう、

一所懸命働きます!

今まで通りかもしれないし、贅沢な暮らしではないかもしれないけど、

私は仕事を通じて、家族や友人との触れ合いを通じて、

今この一瞬に感謝しながら、関わる人を幸せできるように精一杯生きます。

私にとって大切な「愛すべき人」に出会えた幸せに感謝しながら!!

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