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半分こしようって言ってくれて、ありがとう!

今日仕事先で、わざわざお弁当を用意して下さいました。

こんなご時世だからこそ、いつも以上に胸にこみ上げるものがあり、

心からの感謝の気持ちを込めて、「いただきます!」と手を合わせました。

命を頂いているのだから、手を合わせ、感謝して「いただきます!」という。

こんな風に教えてもらって「いただきます!」を実践しているけれど、

いつもいつも感謝して手を合わせているかというと、自分の場合は少しあやしい。

でも今日は、この弁当を作って下さった業者さんの、苦しみに耐えながらも

頑張っておられる姿を思い浮かべ、それを支えよう、応援しようとしている地域の

みんなの姿を思い浮かべ、私を気遣って下さるお客様の温かさに感謝しつつ、

心からの「いただきます!」が言えたような気がしています。

子供の頃から今に至っても、心から感謝して手を合わせることって、

どれくらいできていただろうか?・・・と自分に問い掛けてみる!

「半分こにしよう!」って言ってもらえた時って、嬉しいなって思うけど、

その時少しだけ有難うって感じているだけで、自分は本当に感謝できていたかな?

「刻石流水」という言葉があるそうです。元々は仏教から来ているそうですが、

安岡正篤先生は、「受けた恩は石に刻み、掛けた情けは水に流せ」と、

色々な書籍の中で仰っていました。

それを読むたびに、思わず恥ずかしいなという気持ちが湧いてきます。

むしろ逆になっていることの方が多い気がするんですよね。

「あんなにしてあげたのに!」「陰でこれだけ頑張っているのに!」

「何で気づいてくれないんだ!」って思うことが多くないですか?

してあげたことばかり沢山覚えていて、して貰ったことに感謝することを、

石に刻むどころか忘れちゃいませんかね?

今度こそは、この人の優しさや温かさを忘れることなく石に刻み、

感謝の気持ちで生きていこう・・・って思っているのに、

気がつくと自分の都合、自分の利益、自分の感情を優先させている。

なかなか私は、立派な人間に成長することができないようです。

でも、こんなご時世だからこそ、「半分こにしよう!」って気持ちを大切に、

痛みを分かつ心で、やさしく寄り添って暮らしたいですね!

不安に振り回されて、自分の暮らしだけを守ろうとするよりも、

「そう言えば昔、〇〇さんにお世話になったのに、何の恩返しもできてないな」

とか、実はいつも支えてくれていた人に気づいて、「感謝が足りないな」などと

思い返して、じゃあ、こんな時こそ罪滅ぼしに「半分こにしよう!」って。

自分にできる範囲は僅かでも、支え合って生きていこうという気持ちが、

本当に大切なんじゃないかなって思いました。

家の中で我慢、何処に行けなくても我慢、混み合うところも我慢と自分に矢印を

向けるのではなく、人を思いやってニコッと笑い、「半分こにしよう!」の方が、

周りも笑顔になるような気がします。

こんな時こそ、受けた恩を思い返して石に刻み、半分こが良くないですかね!

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