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及ばざるは過ぎたるに勝れり

「過ぎたるは猶及ばざるが如し」という孔子の言葉はよく知られていますが、

私は、「及ばざるは過ぎたるに勝れり」という徳川家康の言葉も、

いや〜、すごいなぁって思うんですよね。

易経という長〜〜〜〜い歴史を持つ学問がありますが、

少しかじった程度の知識で恐縮ですが、大体大いなる禍(わざわい)は、

過ぎてしまうことで起きる場合が多いようです。

例えば、「天地否」「山地剥」「坎為水」などの塞がる卦がありますが、

多くのパターンは、「豊かさに胡座をかいて安穏と過ごし、勤勉勤労が失われ、

平和ボケが過ぎる」とか、「外見ばかり気にして着飾ることが多く、見た目にも

心にも贅肉をつけたり、武士が役目を忘れて公家化したように、文化芸術ばかりに

うつつを抜かし、贅沢が過ぎてしまう」とか、あるいは、「養うにおいて過保護や

過干渉が過ぎてしまったり、心を養わずして感謝の気持ちなく、裸の王様の如き、

利己的でわがまま、我欲に過ぎる」などなどがある時、世が塞がることが、

歴史的には何度も繰り返されてきているようですね。

及ばざることもよくないことではありますが、まだ及ばない方が、

大きな禍にはつながらないで済む確率が高いようです。

徳川家康という人は、本当に凄い人だなとしみじみ思いますよね。


イギリスでは「Covid」と愚か者を示す「idiot」をくっつけて「Covidiot」という

造語も生まれているようですが、私は今回の新型コロナウィルスは、

人類の過ぎたる振る舞いに私たちが気づき、深く反省しない限り収まらないのでは

ないかという気さえします。Covidiotの過ぎたる振る舞いが感染をより拡大させる

確率は高いですし、贅沢や与えられた自由と権利になれた社会は、我欲を抑えて

我慢をするというシンプルなことが、とても難しいように感じるからです。


皆さまは、大地震や大津波、ゲリラ豪雨による洪水や土砂災害などは、

神様からの警告だとは思われませんか?

もちろん科学的ではないし、今は気候変動や地震の起きやすい周期に入っている

ことは分かった上で、あえてこのように表現してみました。

言い方を変えれば、そういった周期にあるとわかっているのであれば、

あるいは気候変動を引き起こす原因を、我々人類がつくっているのであれば、

もっと謙虚に対応することを日頃から考えなさいというメッセージであると、

受け止めて生きることの方が正しい社会のあり方ではないのかなと思うのです。

今回のウィルスは、一部人災を含めてもちろん自然災害ですが、

仮にこの災害がなくても、私はもうすぐそこに、「経済における大地震」が

やってくるだろうなぁって、ずっと感じていました。

理由はシンプルです。地殻変動が歪みを蓄積するが如く、経済活動の矛盾が

ずっと蓄積されて、目に見えないところで泥々のマグマが溜まっていることを、

なんとなく感じ続けていたからです。

ビル・ゲイツ氏やウォーレン・バフェット氏も似たような発言をされていますが、

これも人類の傲りや我欲、怠慢などの過ぎたることが原因ですよね。

生意気な発言が過ぎるかもしれませんね。><;ご容赦ください。


さて易経では、そのような塞がった状態からどのように抜け出すのか

その時の身の処し方についても、色々と説かれているのですが、

こちらも大きく分けると、いくつかのパターンがあるように思います。

例えば、「勇気と志を高くもって行動する仲間を持つこと」や、

その時に、「遅れて仲間に入ろうとする者には気を付けろ」ということ、

また、「黎明期はよく状況を観察して、謙虚に、従順な心で行動すること」

あるいは「中道で正しき心を持って行動すること」や「長じる者について、

謙虚に学び従うこと」などなどが書かれています。

要するに、「私心を少なくして中庸にかえり、志を正しく、天の動きに

従順にして環境に適応せよ」ということかなって思います。

今風に言えば、自分の利益の前に家族や友を慮って、まずはStay home!

できる範囲で良いから、困っている人たちのためにできることを考えて行動し、

落ち着いたら、世の中の変化をよく観察して、利己的な利益や不安な感情に

振り回されることなくまず社会がどうあるべきかに心のベクトルを向けて

行動すれば、自ずから必要とされていくだろうというところでしょうかね。


書きながら、自分の心に問い掛けて、言い聞かせている部分もあります。

こんな独り言にお付き合い下さり、最後までお読みいただきまして、

本当にありがとうございます!



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