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判断基準について不思議に感じること

皆さまは、物事を判断する時って、何を基準に判断されていますか?

普段なんとも思わないけれど、不思議なことが沢山ありませんか?

例えば、この時期は入社したばかりの新入社員さんが辞めてしまうという話題が、

よくテレビで取り上げられていますよね。

退職代行業の人に3万円も払って「もう無理〜〜っ」って伝えてもらうとか!

いやはや、お金払わなくても辞めるというだけなのにと思う人がいる一方で、

「わかる〜〜〜」って人もいるのだと思います。

それって、何を基準に判断しているのでしょうね?

我慢できないほど苦しいとか、思っていたイメージと違ったとか、

退職する理由も人様々ですが、苦しいと感じる基準も人それぞれだし、

何をイメージするのかも人それぞれでしょ?!

にもかかわらず、良いの悪いのと批評したりなんかして!

そもそも割合からすれば、ごくごく一部の人のお話ですが、

それをネタにして良いの悪いのと・・・何なんでしょう!!

陰陽は表裏一体として存在するのだと思いますが、

あらゆる出来事や言葉は、人ぞれぞれ異なった感情や価値観に基づき

判断されるこの世界って、逆によく成り立っているもんですよね。

冷静に考えてみると不思議だなぁって思われませんか?

暑いって何度からが暑いのですか?

蒸すなぁって、どれくらいの湿度から蒸すと感じるのでしょう?

もちろん平均はあると思いますけど、きっと人それぞれですよね。

苦しいレベルも人それぞれ。不安に感じるレベルも人それぞれ。

怒りを持つレベルも人それぞれ。努力できるレベルも人それぞれ。

こんなに人それぞれなのに、どうして公平や平等を求めるのかな?

もっと言えば、どんなに公平を期しても、

それを公平と感じるかどうかさえ、その人次第ではありませんか?

だから、同じできことでも不満に思う人もいれば、満足な人もいる。

本当に不思議な世の中ですよね。どうしてこの程度の揉め事で済んでいるのかが

不思議なくらいだと思われませんか?

「いやいや、私は客観的かつ冷静な判断をしているから大丈夫」

と自信を持っている人がいたら、むしろ自分を疑った方が良い気がします。

美味しいなぁと感じるのも人ぞれぞれ。うるさいなぁと感じるのも人ぞれぞれ。

金額が高いなぁと感じるのは、持ってるお金の量によって違うかもしれないし、

コストパフォーマンスなんて言葉も、人によって感じ方は色々でしょ?

世界中のニュースや歴史に関心がある人もいれば、自分の身の回りのことや

今楽しいかどうかに関心が高い人もいる。選挙権はどちらも1票だけど、

見えている世界が違うんだから、全然判断は異なるのでしょうね。

でも、みんなの意見を聞いていたらやってられないのも事実。

さて、皆さまの判断は、どうあるべきでしょうか?

【リーダーの大切な役割】

【包容力や寛容さ】

私は、こうした状況を調整して調和を保つために、

リーダーが必要なのだと思います。

だから前回もお伝えした通り、「絜矩(けっく)の道は忠恕のみ」

言われるのではないでしょうか。

自分のことは忘れて、人を思いやり慈しむこと。

全体最適を考えて何が正しいことなのかを追求し実践する。

そうした生き方をする人の言葉にのみ、人々は納得するのではないでしょうかね。

「リーダーの器」という言葉がありますし、時々耳にしますが、

この「器」には、私は「器量」と「度量」が含まれていると思います。

器量は、その人の能力・実行力の大きさを表し、

度量は、その人の懐の深さ・諫言・反対意見に耳を傾ける力を表している

のではないかなと考えています。

これを合わせて「器」と何気なく使っているのではないでしょうか。

「大臣まではいけても総理の器ではない」とか、

「彼の器では係長までが限界じゃないの」などと身勝手に口にするのですが、

無意識で認識しているのが、この「器」なんじゃないですかね?

そして、私たちが仲良く暮らしていくためには、

バラバラの判断で揉めることがないように、必要なリーダーを適切に選ぶことが

とても大切なことなのではないでしょうか。

【役割で人を比較しないことを共有しよう】

【全ては組み合わさって機能している】

判断は多様である。個性も多様である。すべては元々多様である。

その一人ひとりの徳性を生かして社会を進化発展させ、

かつ全体を調和させる役割がトップリーダーにはあると思います。

そんな本物のリーダーを育成することが、私たちの社会には必要だと思います。

ただ、あくまで役割なんですよね。

調和を保つ便宜上、あるいは意思決定の便宜上、上下関係を組織は設けます。

権限と責任が一致するようにですね。あるいは運営や順番の都合上ですね。

ただ、誰が欠けてもダメなのですから、どちらかに比較優位なんてないんですよ。

トップが偉くて現場を下に見るなんてあり得ないと思います。

だから、承認欲求で人と比較するなんてナンセンスです。

大谷選手が光り輝くのは、大谷選手ではない多くの選手のお陰でもあり、

野球は一人でできるものではないのと同じだと思います。

もちろん大谷選手は心から尊敬しますし大好きですよ!

でも、栗山監督も大好きなんです!比較するものじゃありませんよね。

同じように身近な職場で、ご近所さんで、様々なコミュニティで、

判断が違う人を否定したり、役割で比較して優劣を決めたりすることは

やめましょう!

射倖心を煽るニュースやくだらないSNSに惑わされるのもやめましょう!

そして私自身は、少しでも優れた判断ができるように、

素晴らしいリーダーに習って道を学びたいと思います。

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