〇〇中毒について考えてみる
〇〇中毒という言葉を聞いた時、皆様は何を思い浮かべられますか?
例えば、アルコール中毒とかギャンブル中毒ですかね?
ニコチン中毒など、何かに依存してしまい易いものは、
中毒という表現をされて注意喚起されたり、年齢制限されるように思います。
しかし、他にも依存性が高いものって沢山ありませんか?
例えば、SNS中毒は如何でしょう?
デジタルデトックスって言われるくらいですから、始終スマホを見て暮らす
生活習慣は、きっと健康に悪いのではないでしょうかね?
同じようにゲーム中毒と言われるものはどうでしょう?
これも依存性があり、習慣化してしまう場合も多いように思います。
しかし、なぜゲームには年齢制限がないのでしょうね?
ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズは、我が子に対しては厳しく制限し、
悪影響を及ぼさないようにコントロールをしていたようですが、
近年は脳科学の観点からも、こうした中毒には警鐘を鳴らしています。
R指定された映画やビデオもありますよね。
大人になれば自分の判断でOKになるわけですが、子供の頃は制限されます。
繰り返しますが、なぜゲームやスマホは制限されないのでしょう?
皆様は、このことを不思議には思われませんか?
【ボディーを通して感性を磨く】
私たちは、ボディーによって欲求を得ていると言われています。
言い方を替えれば、私たちはボディーによって喜びや満足を得ています。
例えば、お腹が空くのは体を維持するための栄養素を欲するからですよね。
でも、良い匂いを嗅いだときもお腹が空く時があります。
学習した臭いと味が結びつくことで、想像力を働かせているからだと思うのです。
chatGPTの出現やAIの進化によって、脳の機能に着目されることが多いですが、
私は、すべてはこのボディーを仲介して脳が機能していると考えています。
熱い、冷たい、やわらかい、気持ち良い、甘い香りだ…などなど、
様々なボディーを介した経験が、感性に大きな影響を与えているように思います。
一流のピアノ演奏家の方が、「筋肉質な体の時は音も硬かった」と
仰っていました。そのために少し体を太らせてみたら、
柔らかくて素敵な音色を奏でることができるようになったと。
私たち人間は、このボディーによって喜びを感じ、快楽を感じ、苦痛を感じ、
我慢を覚え、胆力を養っていくのではないでしょうか?
だから私は、人間としての基礎を築く子供の頃には、自然の中で走ったり、
泳いだり、飛んだり跳ねたりしながら、ボディーの感性を豊かにしていくことが
大切なのではないだろうかと思っています。
【経済的な成功だけが人生を豊かにするわけではない】
二者択一ではないのでお金を否定しているわけではありません。
いや、私はむしろお金は大切なファクターだと思っています。
しかし今は、「如何に効率よく結果を出すか」=「如何に効率よく儲けるか」に
意識が向かい過ぎていないでしょうかね?
だから目の前のテクノロジーやノウハウ・スキルなどに振り回されたり、
短期的な成功や偏差値、肩書などに惑わされているような気がします。
健康なボディーなくして美味しい料理もお酒も楽しめませんよね。
そして何よりのご馳走は空腹だと、
沢庵和尚も家光に教えを説かれているではありませんか?
脳にチップを埋め込んで刺激を与えれば、快楽を得ることも技術的には
できるのかもしれませんが、所詮本物には勝てないと思います。
メタバースやVRの世界で一定の満足を得られるかもしれませんが、
どれは所詮似非体験であり、凡庸的な満足だと思うのです。
どんなに電子楽器が進んでも、ストラディバリウスに勝てないように。
だから本物の豊かさを求めるのなら、私たちはまず、
ボディーを大切にする必要があると思っています。
そのためには、適切な栄養を摂り、適度な運動をして、
快適な睡眠をとることが基本なのではないでしょうか?
それを阻害するものが〇〇中毒であれば、それをコントロールすることが
大切だと思いますし、まだコントロールできない子供の時は、
大人が適正に制限を加えて、正しく導くべきだと私は考えます。
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