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泥水の中で美しく咲く蓮の花

私もそうですが、ちょっとした環境の変化って、意識に変化をもたらしますよね。

日常から非日常へ一歩踏み出せば、何が変わるって「私の意識」が変わる。

だから、森へ行くと木々や草花、昆虫たちが語りかけてくれているような意識が、

生まれるのかもしれないし、実際にそうなのかもしれないですね!

オフィス環境では言えなかったことが言えたり、聞けない話も素直に聞けたり。

それはすべて自分の意識が変わったからなのかもしれませんね。

そう思って、ランニング中にも意識を意図的に向けてみる。

例えば、アスファルトの割れ目から伸びている雑草や小さな花に目を向ける。

すると、「逞しいなぁ」って感じるし、「お前は恵まれているなぁ」とか、

「どんな環境でも美しく咲ける方法はあるんだよ」という声を聞き取ったりする。

それって、私の中の心と対話しているのかもしれませんね。


最近読んだ本でいえば、山田博さんが書かれた「森のように生きる」や、

新井和宏さんが書かれた「持続可能な資本主義」にも関連するのですが、

私は、世の中が良くなることに期待するのは、それ自体が間違いかもねって、

それって私にとって都合の良い「幻想」かもねって思うようになりました。

だって、これだけ多様な価値観の中で、私にとって快適で素晴らしい社会は、

もしかしたらその他の人の中には、不快であるという人がいるかもしれない。

そう思えたんです!!(これ最近の心境の変化です)

森の中には、素晴らしい木々や美しい花も咲いているかもしれないけど、

マムシやオオスズメバチ、マダニ、熊や猪など、人間にとって危険な生き物も

たくさん生息していますよね。

そしてエネルギー循環の法則や自然の摂理に従って、生まれては死ぬという

命の循環が行われています。そこに善悪や是非はない!

ただ、調和と進化発展だけは存在しているわけです。

私だって持続可能な資本主義を望んでいる一人ですし、新井さんの考え方には、

むちゃくちゃ共感する人間ですが、残念ながら理想的な社会は来ないと思います。

だって、みんなが良い人ばっかりって、それ自体が不自然じゃないですか?

自然は常に多様であり、良くも悪くも役割があってこそ成り立つ世界です!

光があれば影もある。困難があるから喜びもある。常に全ては表裏一体!


だったら大切なことは、周りを私の都合よく快適な社会に変えることではなく、

自分自身が蓮の花のように、たとえ泥水の中にあっても美しく咲こうとする、

自身の生き方そのもの、心のありようそのものが大切なんじゃないかなって。

そんなふうに思えるようになりました!


とかく周りに文句が言いたい! 誰か人のせいにしたい! 社会が悪いと言って

おいた方が、自分を変える努力よりは、楽で容易いなと思います。

でも、それって幻かもねって。そんな世の中は永遠にこないと思います。

私が幸せに生きるために、私の周りの大切な人を幸せにするために、

私に関わってくださる人と素晴らしい人生を歩んでいくために、

できることは私自身が美しく咲くこと。心を磨いていくこと。

それだけかもしれないですね!

そこにきっと素晴らしいご縁があって、本当の楽園があるのかもしれない。

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