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好奇心と探究心が生涯の楽しみを生み出す

ゲームでもなんでもそうですが、GOALしてしまうと面白くありませんね。

目標も達成した瞬間はすごく嬉しいけど、

その後は少しだけ寂しい気持ちになりませんか?

やはり夢でもなんでも追いかけている間が楽しいのかもしれません。

「人生は、重き荷を背負いて遠き道を行くが如し」と言われますが、

たとえ重きにを背負っていたとしても、その道中で花を眺め、

人と出会い、様々なドラマが生まれていくのだろうと思います。

幸せな人生とは、楽ちんな人生ではありませんよね。

最近、気になることがいくつかあるのですが、

まだ結婚もしていないのに、「子供を育てるのは大変だ」

「そんなリスクは背負えない」みたいな発言や、

深く付き合ったこともないのに、「深い人間関係は面倒臭い」

「人間関係に縛られるのは嫌だ」みたいな発言を耳にします。

実際苦労した経験があって、本当に嫌だったと振り返るのならわかります。

しかし、単なる耳年増みたいな状況で、何もやっていないし味わっていない

にもかかわらず、リスクだの面倒だのというのは可笑しいですよね。

それとも子供の頃から、親がそんな発言をしていたのでしょうか?

「あなたを育てるのが苦しい」「あなたがリスクだ」・・・と。

一般的には、そんなことないですよね。

経済的な負担は確かにありますが、それには代えられない喜びや幸せを

子供達から頂きました。

会社についても、先日PIVOTというYouTubeを観ていたら、

佐々木さんと言われる方が「昔の会社ってもっと面白かったですよね」と

仰っていて、何となくその意味がわかるような気がしました。

学園祭でも何でもそうですが、みんなで苦労しながら共通の目標に向かって、

時には言い合いもするし喧嘩もするけど、とことん頑張った思い出って、

本当に楽しかったなぁって思うんですよね。

会社だって同じチームですから、面倒臭い人間関係や衝突も起きるけど、

人間臭い仲間愛みたいなものがあったりして、なんか楽しかったなぁって!

今みたいに当たり障りがない距離感や傷つかないための遠慮、防御ばかり

気にしていたら、本当に何も楽しくないよねって思いますもん。

「それ、味わってからにしません?」って言いたいっす。

本当に濃い友情や人間関係を味わう前から、リスクだの面倒だのと言っていたら、

人生が薄っぺらいものになっちゃう気がするんですよね。

今日はこの観点から、色んな問題について考えてみたいと思います。

【ゴールすることの弊害】

【こんなはずでは・・・】

最近、大手企業の会長や社長、後継者、あるいは幹部公務員や政治家などの不祥事

による失脚が後を絶ちませんよね。

別に今に始まったことではなく、昔からあることではあるのですが、

最近はメディアやSNSがことさらに取り立てるせいか、やけに多い気がします。

ただ原因は、傲りや不遜、慢心により、

本性が剥き出しになったせいではないかなと私は考えています。

マズローの教えに従うと、人間の欠乏欲求は「生存欲求」「安全欲求」

「社会的欲求」「尊厳欲求」の4段階あるそうですが、

いずれも欠乏欲求なので、本能的にというか遺伝的にというか、

私たちみんなに備わっているものばかりです。

そしてこれらは欠乏欲求なので、衛生理論のようなもので、

不足すると強く欲求するが、満たされている時は当たり前になりやすい

欲求でもあると思うんですよね。

安岡正篤先生は、これらの欲求が満たされると人は喜ぶと仰っていますが、

喜ぶから慢心も生まれるのだと仰っています。

例えば、生きることへの欲求は最も強い欲求ですが、

健康な時に健康に心から感謝する人は少ないのではないでしょうか?

ところが病気になると、健康の有り難みが骨身に染みてかります。

でもまた健康になると、忘れちゃうってありませんか?

それと同じで、美味しいものを食べると喜ぶし、

仲間とスポーツ観戦でもして一緒に盛り上がると喜ぶわけですが、

満たされると当たり前になって、飽きてしまう。

消費できるものって飽きてしまうんですよね。

故に、決して人生の自己充足感や達成感、真の豊かさにはつながりません。

人から特別扱いをされたり、凄いねって言われると喜ぶわけですが、

それを続けていると、いつしか当たり前になってしまい慢心します。

だから、尊厳欲求以下の欠乏欲求だけで生きてしまうことは、

喜びはあるけど、本当の楽しみを知らないままに生きるのと同じだと

思うんですよね。

ちなみに安岡先生は、「知者は水を楽しむ」と仰っていますが、

好奇心と探究心に溢れて水をも楽しむ『道の世界観』、

即ち、自己実現欲求に入ると、楽しむ世界に入るということです。

私はここに、真の豊かさや充実感があると感じていますし、

そう信じている人間です。

野心を持った尊厳欲求で生きてきた人は、そのプロセスにおいては、

凄い努力家で優秀だし、多くの人に認めてもらえたかもしれないけど、

その価値観のままだと目標を達成した途端にGoalしてしまいます。

Goalすると目標を見失い、傲りや慢心が生まれ、

もっと本能的に下位で強力な欲求、即ち、不倫やセクハラなどに走ってしまう

傾向が現れるのではないかなと考えています。

古くは易経で「亢龍」と表現されていますが、

勢いのある「飛龍」の時は良いけど、その後の対応を誤ると、

真っ逆さまに地に落ちることを戒められています。

本当にその通りの事例が後を絶たないなと思いますね。

【向上心よりも探究心がいい感じかな】

【好奇心をもって夢中になる】

そうした意味では、向上心はもちろん大切なんですけど、

好奇心あふれる探究心が、より大切なのかなって思います。

自己実現欲求って、誰かに褒められることよりも自己満足ですよね。

道を楽しんでいる状態で、あくなき探求を面白がっている。

そんな気がしています。

だから、誰かと競い合う必要もないので心にゆとりがあって大らかだし、

探求中で「まだまだ未熟だ」って思っているから謙虚な人でもある。

人生を引退するまで、きっとずっと楽しんでいられる気がします。

例えば、イチロー選手を見ればわかりやすいですが、

現役を引退した段階でプレイヤーとしての探究は終わったかもしれないけど、

今は指導者としての探求を続けていらっしゃるような気がするんですよね。

きっと大谷選手もそうなる気がします。

別に偉大じゃなくてもいいじゃないですか。

自分が好奇心の持てるものを探求するだけで。

紙飛行機でも折り紙でも、どんなニッチなものづくりでも、きっと楽しい。

そうすると人生は豊かになる気がするし、結果的に幸せなんじゃないかな。

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