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ガネーシャの教えを思索する(其の8)

今回のテーマは、私にとってピントが合い難い内容でした。

理由は、「周囲の期待が何か?」なんて、あまり考えたことがなかったからです。

皆様は、周囲の期待について考えられたことがありますか?

例えば家族の期待です。「今度、〇〇へ連れて行って欲しい」というレベルの話

ならば時々ありますが、この教えが求めている「期待」って、

きっと自分を型にはめてしまっているようなプレッシャーのことかなって

思ったりして、であるならば、あまり自分は感じていないのです。

単に私が鈍感というか、・・・そうか、鈍いだけなんでしょうね。

いつも私は、仕事における「お客様の期待」や「世の中のニーズ」ばかりを

意識していたように思います。この点は今、無茶苦茶反省しています。

身近な人の期待も考えず、お客様の期待に応えられるわけがない。

喜んで頂けるセンスが身に付くわけがないと思いました。

もっと身近な人の期待を意識して感じないと、人間的な成長は難しいかも。

テーマの真逆ですが、大いに反省しているところです。

さて、今回のテーマに入りましょう!

【教え】

周囲の期待と違う行動をとる

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私とは真逆で、周囲の期待を強く意識して、その期待に応えるように、

一所懸命に生きていらっしゃる方も多いのでしょうね。

でも、それの何処がいけないの?・・・って、私なんて思ってしまいます。

とても優しくて素晴らしい人なんじゃないかなって思うのですが、

ガネーシャは「違う行動をとってみんと、本当のことはわからん」みたいなことを

説かれています。・・・つまり、

自分が期待されていると思っていることと、本当に期待されていることの間に、

齟齬が生じているかもよってお話かなと思いました。

「もっとあなたらしく、自分のために生きて欲しい」

あなたの周りの人たちは、そのように願っているかもしれないので、

いつもと違う行動を思い切ってとってみるということを試さないと、

本当の期待なんてものは、わからないものだよということかもしれませんね。

または、周囲の期待を意識し過ぎて、本当に自分が求めていることを我慢する

という考え方はどうなん?って問われているのかもしれません。

その生き方は誠実なんかな?後悔しないの?たった一度の人生なのに、

自分の心と違う選択肢を選び続け、自分で自分を誤魔化すかのように説得して

期待に応えようとするのは、本当の優しさなんかな?それで後悔しないの?

そんなことを問われているのかもしれませんね。

私は、私の大切な人たちが、自分の人生の命を燃やし、輝いて生きてくれたなら、

私のことなんてどうでも良いよって思っています。特に子供達には。

楽しそうにイキイキと笑顔で生きている姿を見ているだけで幸せな気分ですよ。

周囲の期待って、深層心理というか、実はそんなもんじゃないですかね?

もしですよ!もし、何か失敗することを恐れたり、挑戦しない言い訳のために、

周囲の期待を引き合いに出しているのなら、すぐにやめた方が良いと思います。

それこそ間違いなく、周囲の期待に反しているからです。

自分の心が悦ぶかどうかは、やってみないとわかりませんよね。

「やってみなはれ」ってガネーシャ様は説かれているのかもしれませんね。

でも・・・私はもう少し周囲の人を大切にしないとバチが当たりそうです(涙)

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