見出し画像

ガネーシャの教えを思索する【其の16】

「夢を叶える象4」を読ませて頂いて感動し、ガネーシャの教えを自分なりに解釈

してきたわけですが、残すところ、今回の記事を含めて3回となりました。

相変わらず変わり映えのしない人生を生きていますが、しかし変わり映えしない

ように見えていて、実は色々な変化を見落としているだけだなと気付かされ、

私自身はもちろんですが、1日1日をもっと大切に生きようと誓いました。

そんな気持ちにも関連する言葉が、今日の教えの言葉になります。

【教え】

喜怒哀楽の経験を素直に表現して味わう

画像1

正直に言えば、私は感情がすぐに顔に出てしまうタイプで、

「人間が小さいなぁ」と自分では思っております。

憧れは泰然自若としたタイプの男でして、やはり無いものねだりなんでしょうね。

「一々顔に出すようでは、人間ができていない証拠である」・・・と、

東洋思想の大家である安岡正篤先生も仰っていますが、

まさに私は、人間ができていない典型的なタイプの人間です。

ただ一方で、感情表現の豊かな人は人間味があって、どこか安心しませんか?

何を考えているのか分からないような人よりも、涙もろかったり、

大喜びしてはしゃいだりしている人の方に、私は親しみを覚えます。

矛盾しているかもしれませんが、私的にはTPOで理解して、

仲間の中では喜怒哀楽を自由に表現し、外部との交渉や重要な仕事の場面では、

泰然自若とした振る舞いができるようになりたいものだなと願っています。

さて本題に入りますと、こちらの教えは、むしろ喜怒哀楽を自由に表現することを

躊躇って我慢している人に対して、発せられた教えかなと思うんですね。

喜ぶ時も誰かを気遣って大袈裟に喜ばないとか、怒りがあってもずっと我慢して、

ストレスを内部に溜め込んじゃうとか、哀しくても感情を押し殺して耐えたり

楽しい時でも、エネルギーを爆発させることを抑え込んだりね。

大人になる中で、感情を抑制することが良いことかのように、

なんとなく思ってきた人もいらっしゃるのではないでしょうかね。

確かに喜び過ぎると心に隙ができてミスに繋がったりすることもあるし、

怒りは、後の面倒を思えば、無闇に爆発させない方が大人の対応だったり…ね。

でも人間って、やはり感情の動物じゃないですか。

いかに豊かな感情を味わうかによって、悔しい時や哀しい時でさえ、

後々人生の彩りある思い出へと繋がっていくのだろうと思います。

言い方を変えれば、自分に素直になって大いに感情を表現することで、

本当に私たちの日常が、実際に豊かになっていくような気がします。

少なくとも仲間内では、自分を解放して自由に表現してみることが大切かな。

笑顔が笑顔を連れて来るし、哀しい時は、一緒にもらい泣きしたりもするしね。

それを安心して表現できて、許容してくれる仲間がいるって本当に幸せですよね。

ただ以前も書かせて頂きましたが、いつまでも感情に振り回されたら、

かえって悪い結果になってしまう気がします。

怒りを長く持ち過ぎてしまうと、人相も悪くなるし、健康にも良くない。

これは哀しみだって同じですよね。

素直に表現して味わったら、捉われることなく前に進む。

その切り替えも大切にしていきたいですね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?