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ヤニス・リッツオス『いっぴきのホタルが夜を明らめる』の訳


ヤニス・リッツオス『いっぴきのホタルが夜を明らめる』(1937年作品)



1.   

ことし、春は泣いている様だ。 
ポプラの並木の下で、黙ったまま、 
       遊んでいる子供たちを見てもいない。 
春の顔を古いレプタ金貨ほどの緑っぽい光の円が滑るけど、 
       ぼくたちに微笑みかけそうもない。 
けれども、毎夕、一匹のコオロギがぼくの埃の積もった本の中で歌っていて、 
       そして、ホタルが一匹、ぼくの用紙の上に灯を点す、 
       それで、ぼくは、青い花が咲き葦が繁っている野原のことを書く、 
       そこを、亀の群れが通り過ぎて行く。 
ぼくは、村の葦がいっぱいに生い茂った小池を思い出す、 
       葦の小さな穴を試してみたんだった、 
       夏の夜の最初のゆっくりした歌を吹いてみたのだった。 
そして、今夜は、一匹のホタルが百合の開いた本を照らすんだ、 
       すると、一匹のコオロギが小さなハリストスの短い詩を読む、 
       彼は、緑の小葉の上で居眠りをしていた。 
それなら、ぼくは、ホタルの歌をくちずさもう。 

星は、みんな、太陽を知っている。 
ホタルは、みんな、星を知っている。 
太陽が、明日の朝、きっと忍冬の花の下の閾に立っているぼくを 
       すぐに見分けるだろう。 
ぼくは縁なし帽を脱いで、まるで教会に入る様に、十字を切るに決まってる、 
       そして、最初の最初のお祈りを上げるだろう。 




2.   

ぼくたちが、ツバメのいる通りに移り住んでいたのはどれくらいだっただろう? 
ぼくたちの手を温める太陽はどこにもいなかった。 
ぼくたちの間で、一羽のスズメが凍えている。 
ぼくたちは、背の高いカモミールでいっぱいの草原があればほんとに好いのにと思う、 
       そこでは、金の毛の仔牛たちが転げ回るんだ。  
ぼくたちは、仔牛の優しい目があればほんとに好いのにと思う、 
       仔牛の目は、大地を、空を、ぼくたちの心を見つめるんだ。 
ぼくたちは、ぼくたちのことをわからないし喜びもしない、無言の微笑みをどこに置いて来ただろう? 
ぼくたちは、ぼくたちのしろいよそゆきの制服と 
       人間たちとたくさんの羊の下手な絵を描いた一年生のノートは 
       曉のどのあたりに放り投げてしまったのだろう? 


とっても良い時間、それは、眠っている子供の額の上に 
       置かれた、お母さんの手の様だ。 
春の夜明けは、快活な村娘の様に、桃でいっぱいの籠を抱えて、 
       窓から飛び出す。 
竃でミルクが湧いている、そして、ぼくたちの元気の 
       歌を歌っている、草原の朝の仕事の歌を歌っている。 
ぼくたちの巻き毛の髪と、真っ赤な頬に、 
       気持ちのいい水が当たる。 
ぼくたちが夢で見ていた天使は、厳めしくはなかった。 
いくつもの大きな鍵も手に持ってなかった、その鍵で、お菓子 
       それから丸い橙とシトロンとでいっぱいの壁の戸棚に鍵を掛けると言うのだけど。
たったひとり、微笑んで生き生きとして、髪には麦の穂の 
       冠を冠って、真っ白な雲の群れの中にいる天使は、 
       真っ白な子羊の群れの中にいる日に灼けた羊飼いだった。 
かみさま! あなたの天使は、なんて優しく笑うのだろう。 
それで、ぼくたちも、こんなに気持よく笑っている。 



3.   

太陽はいじわるだった。自分の、山羊のに似た、金の角を 
       葦の間に突き刺して、自分の金色の片目が 
       大地を待ち伏せていた。 
泉で、女の子たちは、緑の鳥たちと赤い花々でいっぱいの  
       縁飾りの付いたペチコートを洗っている。 
正午の風が、寝転がった村人の踵と 
       女の子たちの腋をくすぐる。 
女の子たちは、怒って笑う。 
すると、上で、風のいたずらと女の子たちの遊びを 
       見ていたポプラの木立が、 
       子供たちの笑い声に笑い転げて、
       みんな一緒に、小さな銀の掌で拍手を打つ。 
まじめなプラタナスたちも、上品なユーカリも、 
       その笑いを引き継いで、鳥たちや、たくさんの水滴や、 
       たくさんの葉っぱの笑い声で、谷川全体が揺れている。 
そして、ぼくたちは、木立の緑のドレスの下に隠れている、 
       そして、大地の喘ぎと花々の鼓動の 
       小さな音に耳を峙てている。 



4.   

それから、ぼくたちをハリストスは愛している、ずっと、親切なハリストスは、 
       家を、漆喰を塗られた小さな教会を、森を、ずっと愛している。 
このハリストスを、大人たちは知らない。 
ぼくたちのハリストスは、青白い顔ではないし、金色の睫毛に 
       輝く大きな涙をぶら下げてもない。 
影や辛気臭さの気配もしない。僕たちのハリストスは、「否」を言わない。 
彼の肌は幼い女の子の様にバラ色で香りはまったく 
       オレンジの様。 
ハリストスは、宵には、ピカピカ光る麦の穂の海から来ていた、 
       そして、もの静かな子供たちにひなげしとおもちゃを配った。 
ハリストスの青い目には、いくつもの笑いが次から次へと通って行く、 
       ちょうど、鳩たちが早朝の空を行く様に。 
それで、ぼくとリノウラは、お行儀のいい子。 
泥で手を汚していない。 
クワの実でおかおに色をつけてない。 
ぼくたちは『アルファビターリ』を読んでいる。 
お空の鳥たちにえさをあげている。 
それに、ぼくたちは、フォークで野菜を食べるのを教わっている。 
だから、僕たちのハリストスは、毎晩、髪を優しくなでてくれる、 
       それで、ぼくたちは、海のぶどうの蔓の下でねむりこむ、 
       蔓からは、星々の純金の房が垂れ下がっている。 




5.   

種の中心からあがって来る小さな声を知っている? いくつもあるけど、 
       羊たちや鳥たちの夢の様なあの声だよ? 
夢を見てる時、鳥たちは暖かい翼の中に自分の頭をうずめている、 
       明日の歌を覚えているところだ。 
宵には、野原にふんわりと、ハリストスは落ちて来る、ちょうど 
       母さんがランプに油を注ぐ様に。 
家の開けられた戸口の前に座っている女の人たち、 
       自分たちの赤ちゃんを寝かしつけている、そして、 
       子供たちの眠りの上で、空が花を咲かせている。 
カーネーションとゼラニウムの咲いたお庭の上、高くずっと高くで、 
       小さな水差しとバジルのある窓の上、高くずっと高くで、  
       小さな鳩小屋の上、高くずっと高くで、  
       星たちがおしゃべりをしている、天使の秘密のこと、明けの礼拝までずっと。 
星たちはこう言っている、― うっかり者の天使が一人こっそり 
       天国の門から出て行って、村のワイン搾汁機に降りて行った、 
       クラテール一杯のワインを飲み、それから、酔っぱらって、 
       一晩中、地平線の銀の鐘を打ち続けた、 
       すると、野原も唸り続けるので、ぼくたちの眠りも 
       お祭りの時の教会の丸天井の様に、唸っている。 


 


6.   

目が覚めた気、ぼくたちは、思い出して笑った。 
そして、天使の秘密を見つけて教えてあげようと、 
       母さんたちの肩のうしろを探し回った。 
ぼくたちの母さんたちは、料理に一心不乱で、 
       ぼくたちの目を見ない。 
それだから、ぼくたちは悄気て哀しくなって、樹の下に行って、 
       ミルテの瑞々しい枝で、 
       雲と最初の雨の顔を地面に描く。  

夜がぼくたちの庭の溜め池の上を歩いている、ちょうど、 
       ハリストスが海の上を歩く様に。  
( それから、本を書く、それを夕食のあと父さんがぼくたちに読んでくれる。 )  
風には、ジャスミンと熱いパンの味がした。 
夕方の光が、まだ、葉々の中心に当たっていた。 
ぼくたちは耳を囲いの壁に当てる、そして、沈黙の足音を聞く、 
       その足音は、いくつもの森と丘のうしろを通って行く。 
― 遠くの静かな一つの足音、真っ白な鳥が 
       丘の斜面の栗色の鋭い松葉の上を歩く様、 
       陰になった風の上で、光で出来た泡を壊す様に。 
何かがぼくたちのこころの中に隠れて震えている、それは、 
       歌いたいと強く願っている、でも、ぼくたちは、それに声を与えない。 
高い屋上の植木鉢の側に座って、ぼくたちは、 
       悲しくて声を立てずに泣いた。溺れさせる様に押し寄せる 
       無限の喜びが前にあったけれど、ぼくたちは小さな子供だから。 




7.   

リノウラは日没を見詰めていた。真っ赤なダイダイの様な太陽が 
       お昼の手からすり抜けて、 
       スミレ色の山々に落ちた。 
長いバラ色の一本の雲が、連なる屋根の上で、 
       輝いていた。 
リノウラは叫んだ。「バラ色の雲で出来た長いドレスが 
       欲しい。」 
それで、僕は彼女に言った。「あした、持って来て上げよう。」 
安心感が夕方の風に満ちていた、それで、ぼくたちはもう何も話さなかった。 
ぼくたちは黙って樹々の下を通った、すると、コオロギが聞こえた、 
       コオロギたちは夜の髪に攀じ上るところだった。 
好い薫りのする庭から外に出て、お昼の雌牛は、 
       その大きな目を閉じて、天国を夢見ていた。 



8.   

ああ、ぼくたちの夜、輝いて大きい、花々でいっぱい、 
       鐘、星々と天使たち、 
       不思議な神の声でいっぱいの夜。 
ぼくたちは静かな手にキスをする、羊飼いたちがお休みにはいつも 
       イコンにキスする様に。お休みには、羊飼いたちは、 
       ミサの司式をしに牧場から降りて来る。 
ぼくたちには聞こえる、向こうの森で、聖ヨルギ踊りの赤い馬が 
       蹄鉄を石に打ちつけるのが。石は青い火花を出している、 
       まるで、農民が火口に火を点ける様だ。 
草原の薫りが鳩たちの眠りに漂っている。 
鳩たちの眠りは開いたユリに似ている、 
       ユリの中では、二羽の仲良し娘の蝶々が座っていて、 
       光線のことを話している。 
大きな輝く円が川から出て、 
       果てのない空に昇った。 
リノウラとぼくはずっと起きていた、そうしたら、にこにこ顔の月が出て来て、 
       至高の聖女の通る道を照らした。聖女はこの道を 
       降って行って、あたりの畑を祝福する。 
流れ星が風に載る度に、ぼくたちは、 
       天使のマンドリンの弦が弾かれた、と言って、 
       光の後から来る音を聴こうと待った。 
( それは、前に学校の先生がぼくたちに教えてくれたこと。最初に光が来て、 
       音はその後に来る。 )  
先生は、なんて鳴るのかは知らなかった。 
ぼくたち二人は一緒に、光と音を聴くんだ。 



9.   

ぼくたちの唇には、夾竹桃の味はしなかった。 
ぼくたちの髪には、ぱらぱらと埃はかかってない。 
ぼくたちは、灰色の思い出はない。 
「ハリストス、それとも、ディオニソス?」って、ぼくたちは聞いたりしない。( それはちょうど 
       何年か後にぼくたちが読んだ本に書いてあった、 
       まさに蚤の足の大きさの文字で書いてあった。 )  
ぼくたちだけのハリストスは、以前、耳に 
       葡萄の房を着けていた。 
ハリストスは夢から出た様に美しかった、その美しさをカモメが見ていたかもしれない 
       彼のキトンは山羊の毛で織られていて、糞と汗の 
       匂いがした。 ( でも、飼い葉桶で生まれたのではなかったでしょう? ) 
それだから、彼は、白い子羊と子羊に似た子供たちが 
       好きなのだ。 
空から来たとは言っても、ぼくたちの大地に家があるのだ。 
ぼくたちは、毎朝、彼が大地の上に花の種を降らせ、 
       それに、彼の側では、身を屈めた農民たちが 
       赤い畑を耕しているのを見る。 
この野原に生えているユリの全部を、彼が撒いたのだ。 
彼は言わない、「死んで自由になりなさい」と。 
ただ、「生きなさい、そして、愛しなさい」と言う。
リノウラの手に触れると、僕は感じる、ハリストスがぼくらと一緒に 
       いる、と。 
太陽が、ぼくたちの血の中で歌っている。 




10.   

日光浴室の上で、敷詰められたぼくらの藁が、 
       黒い干しぶどうを日に乾かせている。 
草原の下には、鐘、コオロギ、川。 
ぼくは視線を銀河に沈める、ちょうど、ぼくたちが指を 
       蜜でいっぱいの壷に浸す様に。  
ぼくは恐くはなかった。 
ぼくのかあさんが、夜の間、まなざしをぼくに掛けていてくれる、 
       まるで、ぼくのおねむのかさの上のランプの様に、 
       それで、ぼくのこころから影がみんな消えて行く。 
宇宙は丸くて好い薫りがした、ちょうどみずみずしい 
       スイカに似ている。 
ぼくたちは、それらみんなの味がわかる。 
ぼくが反対側に渡るのに、橋は要らない。 
ぼくは、月の金色の階段で空に昇って、 
       神様の膝に座り、 
       ぼくたちの白いねことカーテンの房で遊ぶのと同じに、 
       神様の立派なあご髭でずっと遊んでいた。 




11.   

ある夕方、窓の側で、リノウラとぼく、 
       ふたりでたくさんの絵がある大きな本を読んでいた。 
ぼくたちのハリストスが傾いた小屋、 
       青い窓、赤いゼラニウムを残して、小さなナザレを去り、 
       ヒヤシンスのサンダルを履いた立派なエルサレムに行ったのを 
       知った時、ぼくたちは怒った。 
ぼくは、そこで人々はハリストスを十字架に掛けたのだった、と思う。 
リノウラは言った。「人々はハリストスに善いことをしたの。 
       井戸と菜園を持たせて、赤い土でとってもきれいな鳥を作ってから、 
       暖かい村を去ったのは、どうしてか知ら?」 
ぼくは話さなかった。 
遠くで、荒れた畑で、子羊か何かがベエと鳴いた。そして、ぼくは泣いた。 
リノウラは恐がった。ぼくの手を握ったけど、その手は冷たくて 
       秋の様だった。 
西の空にバラ色の雲が拡がっていた、 
       血染めのキトンの様だった。 



12.   

ぼくたちの村の教会は、岩の中に切り込まれていた。 
鉄の十字架が円屋根の上にやっと 
       見えていた。 
夜明けには鳩たちが座り、何時間も 
       生神女とおしゃべりをしていた。 
聖障には三つの木の扉がある。 
真ん中の金塗りの扉は、ぶどうの実と葉が 
       彫り込んである。 
( 父さんは、司祭はぶどう酒と女の子が大好きだったと 
       話してた。 ) 
右の扉には、一体の優しい天使が描かれていた。 
       死んでしまったぼくの兄さんに似ていた。 
手には、白いユリを一輪持っていた。ぼくに思わせるのは、 
       思い出せない、、あ、そうだ、沈黙に似ていた。 
もう片方の扉にも、やっぱり、一体の天使が描かれていた。 
でも、この天使は少し怒っている。手には長いピカピカか光る 
       剣を持っていた。 
ぼくのお父さんに似ている、( そんなことほとんどないけど ) 怒って  
       お皿か何かを割る時のお父さん、それとも、スタシスおじさんと一緒に 
       肩に猟銃を載せて、夜明けに蜂蜜喰いの狩りに行く時の 
       お父さんに似ている。  
母さんはユリを持った天使が大好きだ。 
リノウラは剣を持った天使が大好きだ。 
ぼくは二つの扉の間に長い間跪いていた、そして、頭を敷石に当てると 
       下の種の小さな声が聞こえた、それに、上では、 
       丸天井のブウンと言う音が聞こえていた、それはまるで、 
       太陽の風車が羽根をぐるぐる回している様な音だった。 
ぼくは二体とも両方の天使が好きだ。 
剣とユリの間で、ぼくの視線は均等になっている、 
       ちょうど、時おり、空に浮かんだ鳥の 
       広げた翼が動かずにいる時の均等さと同じだ。 
光の下で、ぼくが、もう一度顔を上げると、リノウラは、 
       ぼくが誰か分からなかった。 
それから、一羽の鳥が降りて来て、地面に座った。 
へんてこな足どりで歩くんだ、鳥よ、笑い顔が 
       泣き顔の中を進む足どりで歩くんだ。  
その鳥を、ぼくたち、リノウラとぼくと母さんが 
       他でもないその鳥をじっと見ていた。 



13.   

愛は何も知らなかった。ただ歌って、そして、愛しただけ。 
一枚の緑の葉っぱが、川の上、春の空の 
       下で笑っていた。 
一匹の笑顔のアリが、ヒナギクの大きな真っ白なテントの下で 
       朝の散歩をしていた。 
愛とぼくたち。 
きみは覚えている? うれしそうでやる気満々の夜明け。
夕暮は、宿題が分からない男の子の様に、少し 
       悲しい。 
夜は、ふたつの掌の中に、自分の顎を載せていた、 
       それで、丘のずっと後ろを見ていた、それは、 
       兄さんを思い出している時の母さんと同じだった。 
でも、ともしびが点いて、ぼくたちの母さんは手元を見て、 
       さっきまでの視線のことは忘れて、誰かに 
       ぼくたちにその人は見えない、「ありがとう」と言った。 
たぶん、この人は、大人たちの悲しい神様なのだろう。 
それで、ぼくたちも言った。「ありがとう」、すると、ぼくたちの耳に星々が 
       ため息を吐くのが聞こえた。 




14.   

大きな月、やさしい温和な、月曜日のランプの下の 
       父さんの顔の様。 
カエルたちが月をじっと見ている、そして、一晩中歌っている、 
       まるで、水に転げ落ちた星々を飲んで酔ってしまった様だ。 
セミたちは、ぼくたちの指にとまって歌っていた。 
ちっちゃい虫も大きい虫も、ぼくたちに自分たちの秘密を話してくれた。 
ぼくたちのこころは葉々の先でちいさく震えている、 それは、滴の一滴、 
       大きな空を欠けているところはまるでなく映している滴。 
ぼくたちに欠けているものは何もない。 
コオロギたちは、星々の金色のイチゴを齧っている。 
そして、ブドウの葉々を通して、神様のやさしい青い目が 
       ぼくたちを見ていた。 


だれが、ぼくたちと事物の間に来てたったの? 
だれが、ぼくたちを野原のユリと鳥とから隔てたの? 
リノウラ、ぼくたちは何を間違ったの? 




15.   

あなたは、悲しい夕方の無口な時間を覚えている? 秋、 
       彼の青ざめた顔が、ぼくたちの窓の 
       ガラスにくっついて、ぼくたちを見詰めていた。 
雨の中、どこかの子供が泣いている、その子と一緒に、 
       鳥たちも樹々も家々も泣いている。 
ぼくの神様、神様、どうして、人間たちは泣くの? 
ある閉め切った家で、ひとりのお母さんが、空の箱をあやしている、 
       その母さんの死んだ子供の箱。 
なんて多くの人たちが出て行ったのだろう。 
なんて多くの人たちが、ロウソクもなく、キスもなく、歌もなく、眠っているのだろう。 
春に鳩たちが水浴びをしていたぼくたちの庭の池は、 
       今、黄色い葉っぱの小さな無人船が 
       何艘も旅をしている。 
       ぼくは、雲を見て言った。 
「ぼくは、あのツルたちとツバメたちの舟で、 
       平原の向こう、山々全部の後ろまで行きたい。」 
そして、ぼくが行かせて欲しいと思った瞬間、すべてが消え去っていた。 



16.   

最初の光の手が樹々の鐘を   
       叩く前に、ぼくたちは目を覚ました。 
ぼくたちは小さな橋を渡った、野原を二つに分けている川に懸かっている橋
を渡った、そして、丘に登った。大地は好い薫りがした、夜明けの如雨露で 
       気持よく水を掛けられた植木鉢の様だった。 
鳥たちは翼をはばたかせた、そして、細かなダイアモンドの 
       雨を芝の髪に振り撒いた。 
どこだか分からなかった、それで、よく分かっている自分たちの声を 
       聞こうと、ぼくたちはたくさんお喋りをした。 
ぼくたちは、赤い曲がった嘴と獰猛な目をした黄色い鳥を 
       見た。 
きみは言った。「わたしたちは、野原にこんな鳥を置いてなかった。」 
砂礫の上で、誰だか知らない人が、息をしていて、手を握りしめていた。




17.   

けれども、太陽は、楽しげにその姿を投げかける。どこでも同じ、野原の上でも、 
       丘の上でも。 
太陽は、家々、樹々、川、河、ぼくたちの手、 
       その全部を、金色に塗った。 
「わたしたちの手は金よ。」と、きみは言って、そして笑った。 
きみの目は、照らされた草の色が映えて、 
       大きな希望を映す二枚の小さな鏡になった。 
でも、きみが一本のシクラメンを切った、その時、何かの棘が 
       君の手を刺した。 
その時の赤い滴が、お昼の白いドレスにしみをつけた。 
きみは、ぼくたちが戻るのがいいと思った。 
ぼくは、また、丘の笑っている頂きを指差した、そして、ぼくたちは丘に登った。 




18.   

夕方になると、きみは、家の灯りとかあさんを 
       思い出す。 
きみは、両手を折りたたむ、ちょうど、ツバメが羽をたたむ様に、 
       夜の一番星に恐がっている時のツバメたちの様に、 
       星はそれから寒くして、震わせるのだから。 
野原は暗かった、まるで、影を一杯に溜めた大きな池の様だった。 
でも上の方、丘の頂きは、まだ、光の中で 
       微笑んでいる。 
きみは言った。「ねえ、わたしたちのお家に帰りましょう。わたしは恐い。」 
ぼくは、きみに頂を指さして言った。「きみはひとりで、 
       帰るかい?」 
きみは言った。「ひとりで帰る方がいいわ。あなたと一緒にあんなに 
       遠くまで行くのなんて。」 
きみは一人で帰った。それで、ぼくは、ひとりっきりで、丘に登った。 
どの星もすべての星が高いところに現れて、風に 
       いい薫りを流した。 
遠くに大きな静かな泉の音が聞こえた、 
       それは、天使の庭を潤す泉だ。 
すぐに月が出た。 黄色の満開のヒナギク、 
       沈黙と沈思でうっすらと湿っているヒナギク。 



19.   

ぼくの中で、お別れへの喜びが揺れた。 
空のハンカチがぼくを呼んでいたから、ぼくは挙がって行った。 
一枚の力強い翼、孤独よりもずっと強い、恐怖よりもずっと強い翼が、 
       空気を打っていた。 
金と青の色の花が、影で揺れていた。 
リノウラは降りながら、ぼくに叫んだ。「きっと、みんなは 
       あなたを十字架にかけるわ。」 
彼女の声は外国語の様に聞こえた。 
それで、ぼくは彼女に叫んだ。「きっと、ぼくは生き返るよ。」 

次の日の朝、ぼくは、振り返った。まだ、野原は 
       影の中だった。何本もの光線がぼくを取り巻いていた。 
とその時、ぼくは、片手を少し揺らした、それは、きみに、 
       鳥たちに、馬に、ぼくたちの雌牛に、花々にお別れを言う様だった。 
太陽がぼくに尋ねた、どこに行くのかと。それで、ぼくは太陽に尋ねた、どこに行くのかと。 
それから、同時にそれぞれ帰って行った、路に依って、 
       風に依って。 
太陽は高く空に、そして、ぼくはここ、下に。 
太陽はどこに行くのだろう、ぼくはどこに行くのだろう、ぼくらはどこに。




20.   

それから、冬がぼくに追いついた。 
風がぼくを記憶の洞窟まで追い込んだ。 
樹々が手を挙げて僕を抱きしめた。稲妻が 
       僕の目を切り裂いた。石がぼくの足を血塗れにした。 
ぼくは立ち止まり、下を見た。 
ぼくの小さい村、野原の懐にしゃがみこんでいる、 
       小さな窓は灯が灯って暖かそう、ぼくの村は、 
       雨で出来た鳥かごのカナリアの様に、ずっとさえずっている。 
「リノウラ」、ぼくは叫んで泣いた。「リノウラ、ぼくは後悔してる、 
       君を一人で帰させてしまって。ぼくは後悔してる、 
       ひとりっきりで進んで来て。でも、ぼくは戻れなかったんだ。」 
そして、頂き全体が、巨大な剣の様に、夜の中を上がって行った。   

そこから向こうは、もう樹がない。岩、岩ばかり、 
       尖った、剥き出しの岩だけ。 
すると、ぼくの中に描かれた村は、 
       死んだ鳩がいる夜の鳩小屋のように見えた。 
上では、一人の天使も星の小窓を開けないで、 
       神の冬の顔とぼくたちの心を 
       見ようとしなかった。 
ぼくがどれほど登ってもそれより高く、ただ高くに、 
       なんだか分からない唸る音がする、まるで、 
       夜の帳と雲の後ろで、見えない太陽の黄金の風車が回っているようだ。 



21.   

上は春だった。ぼくは、春の丘に入って行った、 
       ちょうど、花の扉の下を通っている様だった。 
     ちょうどその時、ほら、疲れることなく回る太陽の風車が。 
       風車は、ぼくたちが見ている時にも、見てない時にも、止まらない。 
他に何もないところで、光が花の様に満開の中から、唸りを上げている。 
小鳥たちがぼくの肩に留まった。そして歌う、 
       回る昨日までのぼくの日々を、光に向かって歌う。 
       まるで、ぼくたちの昔の庭のひまわりの様な日々を歌う。 

リノウラは、ぼくのてのひらと足の疵痕をしげしげと見た。 
ぼくは最後のヒマティオンも無くなった。みんなは、ぼくをただ裸のままにした。 
ぼくは裸だ、太陽も裸だ。片っ方がもう片っ方を照らして 
       温める。そうして、二つは一緒に、世界の創造物を照らす。 
そして、今夜、ぼくの周りで小麦の穂やカモミールや子羊たちが 
       泣くように、ぼくは泣かない。 
ぼくはひっそりと言う、「リノウラ、何も知らないで喜んでいたり、悲しんでいたりするのは 
       素晴らしいことだよ、でも、知ることは、 
       喜びでもっと優しく、悲しみでもっと深くなることなんだ。」 
それで、ホタルが死んだら、リノウラ、太陽を、 
       見えなくなるまで直視してごらん。 
そうして、きみは知るんだ。 
そうして、きみは見るんだ、太陽が昇って行く様子、 
       千個が千もある星々の露の上に登るんだ。 
それから夜になると、生垣のそばで、懐かしいコオロギの歌が聞こえる、 
       それはまるで、シダを滑る雫の様、 
       雫の様、雫は静かなちっちゃな泉。




22.   

そして、太陽はもう、赤い橙の様ではない。 
それは、神の顔と同じだ。陽気に笑っている神の顔、 
       その笑顔のおかげで、庭の橙が熟れる、 
       それに、鳥たちが大きく育ち、スモモも熟れる。 
ハリストスは、羊の毛で織られたキトンを着てはいない。 
裸だ、軽々として自由自在だ。光を纏って、きみに話しかける。 
けれども、まだ、汗と糞の匂いがする。 
でも、きみは泣いていて見えない。 
リノウラ、指を樹の皮に当てるんだ。 
そこに、ぼくの脈が聞こえるよ。 
僕は去りはしなかった。 
死んだ花々が風に薫る。 
花々は死んでなかった。 
その香りの中に、種の中に、今もいる。 
さあ、花々の復活に行こう、もう時間だ、 
       ユリの白い鐘が時間を知らせている、 
       葉柄の小さな十字架が、笑うように目を出す時間だ。 
ぼくたちは、青いお祝い用の制服を着るのがいい、 
       道で、人間たち、鳥たち、樹々に挨拶をするんだ、 
       ぼくらの昨日の唇に真新しい微笑みをつけて挨拶をするんだ。 



23.   

リノウラ、もうぼくを待たないで。ゼラニウムの鉢に水をやって。 
       仔牛の柔らかい背中を撫でてやって。そして、 
       ホタルたちが懐かしい君に見てもらおうとする時間、 
       夜に、窓に凭れて泣いておくれ。 
それで、冬のある夜、風が崩れた飼い葉桶に吹き付けたら、 
       そして、きみがツルたちと一緒にぼくを呼んでいたら、 
       それから、ぼくがもう帰っていて、きみに小さな灯りと 
       わらの寝床をお願いして、雌牛のそばに寝てしまったら、 
       何がぼくに残っている? 
きみは灯りを持ってないだろう。ぼくたちは何も見られないだろう。 
愛がなくて、ぼくたちは自分自身が見えないだろう、ぼくらはしばらく無言だ。 
きみはきっとそれが沈黙とはわからないだろう。 
ぼくはきっとそれがきみの瞳だとはわからないだろう。 
そして、ぼくはまた夜の雪の中に戻って、おなじみの 
       歌を歌うだろう、歌ってきみの手を温めるのだ。 
ぼくたちの間で、ぼくの道が半分外れてしまったら、  
       それで、ぼくはもうきみの手を握りしめていられない。 
そして、きみは、羊小屋の後ろでぼくの足音を聞くだろう、 
       干草の上の月の足音のようなぼくの足音を。 



24.   

きみは家のテラスで待っていないで、 
       夕方に燃えてしまって、野原の道を灰でいっぱいにする雲の下で、 
       微笑みながら待っていないで。 
それで、きみは、毎夕、荒れ果てた僻地を遠くから眺めて、 
       風采でぼくを見分けるんだ。その日の最後の光の中で、 
       うつむいて、髪に埃をかぶり、足に傷を負って、 
       空っぽの背負い袋に真っ赤の入日の重さだけを入れて、  
       通り過ぎる通行人たちの中に、ぼくを見分けるんだ。 
きみはぼくたちのランプに油を注ぎ、待っている。 
きみはブドウ棚の下に食卓を広げている。 
きみはもう、ぼくに着替えさせる用意が出来ている、 
       肘と肩に念入りに継ぎを当てられた、 
       小さな花で青く染めた、きみが気遣ってラベンダーの薫りがする服だ。 
でも、ぼくは、樹に咲いたいい香りのするアカシアの花の様な星々の下で、 
       平たい石の食卓に着いて、夕食を摂るんだ。 
ぼくは裸の服を着ている、その服は、着ているうちにほころびることがまったくない。 
きみは遠くの子羊の声を聞いてる、子羊たちは、羊飼いが点けた火のそばで 
       メエメエ鳴いている、それで、きみはまだぼくを待っている。 
だけど、ぼくは山からぼくの道をじっと見ている、 
       道は輝く光へ流れ込んでいる、まるで、光の川の様だ。 
樹々は光の中で踊っている様に見える。 - 日曜の 
       お休みに、天使たちが集まって踊っている様だ。 
ほら見て、野原には、麦とぶどう。 
ここ上からは、その野原は毛糸の帽子の様に見える、網目から中が見える帽子、 
       中には光が満ちている。前に、春の終わりに、 
       一本の海の青のリボンで編まれた帽子。 
       それを夜明けのそよ風が優しく揺らしている様だ。 
ほら見て、ぼくたちの家、金色の穀粒のようだ、ちょうど 
       小麦の一粒の大きさだ。ぼくの記憶から鳩がつまみ出した、 
       でも、お腹がいっぱいなんだ、小麦の粒は食べられてなくなりはしないんだ。 
ここ、上からだと、何もかもがこんなにもぼくに近い。 




25.   

今、太陽は、大きな谷川の上に橋を造り上げたところだ。 
       きみは覚えている? ぼくたちは、子供のようにその橋をスキップ出来なかった、 
       悲しそうに、たもとに取り残されたままだった、 
       そうして、じっと見ていたね、 
       向こうの山にある神の様に大きな樹をね、 
       樹には、とても変わった極彩色の鳥がいて、 
       天使のラッパに似た花が咲いていた。 
きみはこの橋をどうやって渡る? 
きみは光の上をどうやって歩く? 
きみは懐かしいぼくたちのプラタナスの下に座って、泣いている。 
ぼくは声を出さずにきみに歌って聴かせる、でも、きみはぼくの歌が聞こえない。 
きみは自分の泣き声が聞こえるだけ、きみはまた泣く、リノウラ、 
       ぼくは泣けないんだ。泣かないぼくを勘弁しておくれ。 
歌うことを覚えた者は、泣くことは忘れてしまっているんだ。 




パルニサ山で、1937年  

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