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僕が歌う僕のためのラララ

むかしゃべがおもしろい。最近、聴き始めた「チュウモリ  #むかいの喋り方 」。パンサーの向井さんがCBCラジオでやっている番組。オードリーのオールナイトニッポンで番組名が少し出ていたのもあって気になってここ数週で聴き始めた。

何週か前の放送で、有村架純への並々ならぬ熱意を語ったかと思いきや、同じ日の放送の直後には、パーソナリティー本人が最近うまくいってないという仕事のリアルタイムな悩みから発展しためちゃくちゃ真面目な人生の事が前者と同じくらいの熱量で語られていた。落差がすごかった。すべてに一生懸命なことが伝わってきて、それは理屈じゃなくイヤホンからの音そのものから伝わってくる感じがあって、ラジオを聞いてなんだかちょっと泣きそうになったのは久しぶりだった。

向井さんが悩んだ末に「だれかと比べたって皆、競技が違うんだから、比べたってしかたない」ときづいた的な話から、『才悩人応援歌』を聞いて感じたことを話されていたけど、

「自分のために歌われた唄など無い」と「僕が歌う僕のためのラララ」という歌詞同士を結びつけて考えたことがなかった。すごいな、向井さん。(自分がちゃんと歌詞を聞けてなかっただけとも言う) 

自分のためにうたわれた唄など無いのだから、僕は僕自身のうたを歌うしかない。自分で自分を満足させるしかないんだな。脇目もふらず。それは今、自分がしたいと思っている生き方だった。

最近、若林さんの「社会人大学人見知り学部 卒業見込」を読み返していた。向井さんのラジオを聞いて、ふと『春日』の章にある「春日はずっと楽しそうで。若林はずっとつまらなさそうだった」の一節のことを思い出した。春日さんはだれと比べることもなく、自分に自信と余裕があり、そして自分を幸せだとちゃんと思えていた。春日さんは「僕が歌う僕のためのラララ」がずっと出来てたひとなんだな、と思った。

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