4年に1度の人生オリンピック。

4年に1度の人間の人生オリンピック、いろんなものを亡くした。そのたびに新しいものを得てきた。

1度目は、2003年、中2の頃、祖母が死んだ。それまでは中学から部活が終わって帰宅しても毎日、5時間ほど深夜までなぜか勉強しつづける生活だったのが(受験のためでもないし強制でもない、好きで自主的にやっていた)、一緒に住んでいた祖母の容体が急変して入院してから1週間ほど放課後お見舞いに行く生活をつづけているうちに、生活リズムが変わり、家に帰ってからの勉強を一切やらなくなった。音楽とか演劇とか他のものにも興味を示すようになった。勉強はしなくなったけど、あのまま勉強しかしない生活をつづけていたら、きっと頭でっかちな人間になっていた気がするから、それで良かったのだと思う。

2度目は、その4年後、2007年。高3なのに9月になっても特にやりたいことも行きたい学校もなかった。進学校だったので、周りのみんなはK大とかH大とかを目指している中で、自分はなにもなかった。

そんな時、2007年9月27日、ミャンマーの反政府デモを取材中のジャーナリスト長井健司さんが射殺された映像が学校に行く前の朝のニュースで流れた。本当にショックで、世の中には伝えないといけないことがあると衝動的に思った。そこで、その日に、自分の学びたい専攻と将来やりたいことが決まった。そこから動いた。そして次の春、その専攻に入学した。

3度目は、その4年後、2011年。大学3年の冬なのに、就職活動に何一つやる気が出なかった。そんな時、飼っていた実家の犬が突然死んだ。悲しくて、ずっと泣いて、この子の分まで自分が一生懸命生きなければいけないと思った。そうして就活を頑張って入社した。

4度目は、またその4年後、2016年冬(2015年度)。以前の会社を2014年夏に辞めて、バイトやら大学での派遣職員やらの仕事をして、でも自分が次に何をやりたいかもわからず、転職活動もまともにせず無職の期間が2年近くつづいていた。そんな時、郵便局で年賀状を売る冬の短期バイトをしていた時に、一緒になった50代手前くらいの女性が「年末のバイトだけして、あとは一緒に住んでる母親のお金で生活してるんだ」と話しているのを聞いて、これはまずいと思った。このまま生きてると、自分もこの女性みたいになってしまうと思って、それが急に現実感を帯びてきてとても怖かった。そして年明け、転職活動に本腰を入れるようになり、2月に受けた会社に内定した。

どういう訳か、今まで、何かしら、4年に1度、人生オリンピックのような転機が、半分何かを失くすような形で自動的に訪れていた。

本当は、5度目が2019年(または2020年)のはずだった。次は何を失くすのか、と思っていた。そうしたら、私は今、コロナ禍の塞いだ生活をつづけるなかで、自分を失くしてしまった。失くすのがまさか、自分の心だなんて思わなかった。表現できなくなった。なにかをしたい、という気持ちも、楽しいという気持ちも、本当に枯れた井戸水みたいに なくなった。

神様、それはないよ、それは笑えないよ、と思った。コロナ禍のせいなのかも、正確にはわからない。今まで、燃え尽きた花火の先に必死に火をつけて、そうして「綺麗だね」って笑って見て見ぬふりしてきたものが、今になって本当に無理が効かなくなっただけなのかもしれない。

今までも、こんな気持ちになることはあった。でもそれは、どこか先で、暗闇の終わりが見えている希望があるトンネルのなかにいる気持ちだった。

今は違う。元に戻る気がしない。この先、どうやって生きて行ったらいいのだろう。そして、本当の終わりは、傷付かず生きるために、こんなことさえ考えなくなった時だ。墜ちて行く飛行機の中で、手記を書き残している。

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