[アイロボ]3章2 財閥の男 美山2

私は死ぬ事は怖くないんだ。怖くないんだよ。
私が恐れている事は、誰にも求められなくなった時なんだ。
そして私の事を皆が忘れてしまう事なんだよ。
私は、ずーっと誰かの為に生きてきたんだ。
家族の為、会社の為、従業員の為。
会社をやめるまでずーっとそういう生き方をしてきたんだよ。
そう生きてきた私が今更自分の為だけには生きていけないのさ。
私は自分の為にどう生きたらいいかわからないんだ。
婆さんが生きていたら違ったかもしれない。
婆さんと共に旅行に行ったり散歩したりそういう事が出来たかもしれなかったのにな。
でも婆さんはいないんだ。
今になって思うよ。
婆さんと色んなとこに出掛けたり思い出を作ればよかったってな。
会社を引退したらそういうつもりでもいた。
だけど、婆さんはいないんだよ。
そう、もういないのさ。
だから思うのさ。

私が作り上げた会社の人達でもいい。
私を求めてくれる人がいたら私が死んだ時覚えくれる人がいればいい。
そうじゃなきゃやりきれないだろう?
なぁそうだろう?
会社をやってる時はよかったさ。
目標や夢があった。その前に仕事に必死だったんだ。
私の周りには色んな人がいたさ。
だけど今じゃ誰もいない。
何も残っちゃいないのさ」

幸彦は、そこまで話すとふぅーと息を吐き目を閉じた。
死は怖くない。
幸彦は、そういった。
私には何も残っていないと。
僕からみたら会社も財も権力も全てを持っていると思う。
だけど、それは違うのだろか?
誰かも求められなくなるのが怖いと言った幸彦。
そんな繊細さを持ち合わせながらどうしてここまでやってきたのだろう?

夕暮れが近付いていた。
澄んだ水色の空から徐々に橙色に染まっていく。
「私は会社から離れるまでこんな風に夕暮れの時間を過ごす事はなかったな」
まるで思い出話のように語る幸彦。
縁側と庭園が橙色に染まる。
今では珍しい光景。
そこにはゆったりとした時間が流れている。
「武蔵。私はもうそんなに長くないかもしれない」
そう一言、まるで独り言のように呟いた。

それから2か月後、幸彦は死んだ。
ある朝、僕が幸彦を起こしにいこうと部屋を覗いた時だった。
安らかに眠る幸彦に近寄り身体に触れる。
しかし、そこに体温はなくまるでロボットに触れているみたいだった。
青白く変色した唇、固くなりはじめた肌。
その感触は今でも忘れない。
幸彦は、寿命だった。
人生をまっとうしたのだ。
それから葬儀が行われた。
沢山の参列者がいた。
会社関係の人や友人、親族。
昔、屋敷にきていた人もいた。
話をした事もない人も深く関わってきた人もいるのだろう。
だけど、1人の人がこれほどの人と関わってきたという事に驚きを感じた。
確かに社長だったからという事もあったからかもしれない。
だけど、それでも少なからずここにきてくれた人がこれだけいるという事実がある。

葬儀は滞りなく行われた。
そして数日後。
葬儀にこれなかった人が屋敷に訪れていた。
そんな参列者の中にある1人の男がいた。
40後半くらいだろうか?
一升瓶を裸のまま持って現れた。
親族に一礼すると遺影の前に胡座をかいて座った。
「じいさん。とうとうあの世にいってしまったのか」
男は遺影に向かって語りかけた。
「じいさんには、色々世話になったな」
男は、本当に幸彦と語ってるような口調で話していた。
幸彦の身内だろうか?
それにしても傍にいた親族はよそよそしい。
「あれは木枯らしがふく寒い日の夕方だったかな?」
そういって静かに語り出した。

「俺は、あの時に本当に死ねつもりだった。
なのになんの巡り合わせかじいさんと出会ってしまった。
俺の親父から継いだ酒蔵はいつ潰れてもおかしくなかった。
小さな酒蔵だったが、仕込みに三年の年月を要する酒蔵は資金調達が大変だった。
それでも地道にやればそれなりに続けていく事が出来た筈なんだ。
それなのに俺は酒蔵を大きくしようと多額の借金をして設備投資をしたんだ。
でもそれは間違いだった。
それを回すだけの職人がいないのに無理して仕込みをしようとして味が落ち客が離れていった。

俺は焦ったよ。
パッケージを新しくしたり販売先を増やそうとしたりして色々試した。
だけどどんなに営業をかけてもダメだった。
それどころか評判も落ちて職人も去っていった。
借金の取り立ても払える訳もなく俺は途方に暮れていたよ。
その時は、2人目も生まれるっていうのに俺は家族の為に何もしてやれなかった。
ただ俺に掛けた保険金がおりればと俺はビルの影から車に飛び込もうとしたんだ。
その時、腕を掴んだのがじいさんだったんだ。

じいさんは俺の目を見つめ何も言わなかった。
それからどういういきさつからかじいさんは俺の家まできたよな。
ただの暇しているじいさんだと思ったよ。
だから、じいさんを家にあげ俺はいきさつを話した。
じいさんは世間話を聞くかのように俺の話を聞いてくれたんだ。
それだけでも俺は安心したんだよ。
こうなってからは俺を助けてくれる奴なんていなかったからさ。
しがないじいさんでもありがたかった。
それに俺は父親に教えをこうことなく後を継いで相談する相手もいなかったから。
じいさんは、投資と言って経済的な支援をしてくれたよな。
結局、利益が出るようになってからも金は受けとらなかったけどよ。
何よりじいさんは酒蔵を立て直す為に色々相談に乗ってくれたよな。
しがないじいさんかと思ったらこんな立派な屋敷に住んでるなんてな。
それも会社の社長だったなんて今まで一度も口にしなかった。
じいさん。
覚えいるか?

それからも、よく俺の家で酒造の日本酒を2人で一升よく空けていたよな。
じいさんと語りながら飲む酒は最高だったよ。
なぁじいさん。
今日もいいだろう。
今年の酒は出来がいいんだ。
一緒に飲もう。
なぁ、じいさん。
俺は忘れないよ。
じいさんと飲み明かした事を。

なんか父親と話してるみたいだった。
本当の父親と酒を酌み交わした事はないけど、きっとこんな感じなんだろうって思ったよ。
じいさんはどっかの社長でお偉いさんだったのかもしれないけど、俺はじいさんの事を本当の父親のように感じていたよ。
なぁ、じいさん。
1番上の息子は今年、大学を卒業するんだ。
まだあいつが小さい頃はじいさんに懐いていてよく相手して貰ったよな。
そんな息子が後を継ぐと言ってくれたよ。
じいさんに教わったように俺も息子に大切な事を伝えていきたいと思う。

伝統を受け継いでいこうと思うよ。
でも寂しくなるな。
もうじいさんと酒を酌み交わす事はないんだな。
なんか今日の酒はしょっぱいな。
俺の作った酒は甘口な方なのによ。ははは。
あとよ。
一番下の娘はじいさんがくるのを楽しみにしてるんだよ。
じいさんの事どう説明すればいいんだよ。
んまぁだけどよ、俺達家族は幸せにやってるよ。
もう心配ねぇ。
じいさんもかみさんとあの世で幸せにやってくれ」

男は手にしていた酒をじいさんの前に掲げ遺影の前に置いた。
男の話の途中から涙声が混じり、人目をはばからずボロボロと涙を流した。
拭おうとせずにじいさんの遺影を見つめていた。
それをみて親族までもが涙を流していた。
涙が涙を誘った。
そこにいた皆が幸彦を思って涙したんだ。
僕は思いだす。
幸彦は、僕を孫のように可愛がってくれた。
優しい笑顔も暖かな手の感触も穏やかに話す話し方も。
それは僕に向けてくれた表情で、けっして屋敷に訪れる仕事関係には見せなかった表情。
冷静で険しく鋭い表情は闘う幸彦の顔だったのだろう。
家族に向ける穏やかな表情をこの男も知っているのだろう。
いつかみた夕日のような穏やかな暖かさを。
僕の心に震えるものがあった。
幸彦の事を思い僕は全身が震えるような激しい感情が渦巻いていた。
僕の中にあった大切な何かが崩れ落ちていくような、心を誰かに揺さぶられてるようなそんな感情が。
僕はその感情の中で震えていた。
それが、僕がはじめて経験した人の死でした。


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