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つぶやき✍️|noteの温度でつぶやいてみたこと

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Twitterとはまた違うぬくもりが、noteにはある。この温度でつぶやいてみたくて、つぶやいたことを集めるだけのマガジンを作りました。
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#家族

5月末開催分の #人生シェア会、お申込み受付を始めました☺️私が主催するコーチングコミュニティ #カナエルバ 住人のアヤノさんと話します。私はおじいちゃんを亡くした、高校生の頃〜いま思うことを話す予定。こちらからお申込みください☺️ https://forms.gle/EyZAgL4GUKrkdkTz8

どうしようもなく田舎で、車なしでは何もできないと嫌気のさした地元だったけれど、大人になったいまは美しさがよくわかる。家族の植えた玉ねぎの世話をして久しぶりに土に触れた日だった。

ふだんはほとんどしないけど、今日は晩酌をした。父が(と家族みんなで見守って)作った燻製を、遠慮して食べ残されるくらいならとぜいたくに食べた。ここにいられる日数のこともあるし、最近のこともあるし、この時間がいかにありがたいかと考えずにいられない。

弟がいる生活もあと少しで、ドイツにいる間に食べておきたいものはない?と聞きながら、実際には私が食べておきたいものをリクエストして作ってもらう日々。

弟のおかげで誰かの作る日本食というものを食べられる最近。私がぜったいに作らないようなものを作ってくれる。昨日の夕飯はカツ丼だった、ありがたい。

弟のおかげで、誰かの作ったおいしい和食が食べれる。ありがたい。弟がこちらにいる期間にも限りがあるので、どんなふうに悔いなく過ごそうかと考えているところ。

家族がベルリンに来て案内している最近。私が恋人といった場所なんかも案内していて(というかほぼそんな場所を案内していて)、思い出の場所に家族を連れて来られたことがうれしいなぁと思う。今日はおやつに川を眺めながらチキンウィング。

とってもリアルで不思議な夢を見た。父がLGBTQであるとカミングアウトする夢。私はそれでも私たちが家族であるということは変わらないでしょ、性別以前に私たちはともに生きる人間でしょと抱きしめていた。夢だけど、言葉は私の本心。すごくリアルで、感情の動く夢だった。

友人と日本食を食べて帰宅し、家族と通話。コーチングを学び始めた頃、コーチングとは身近な誰かの相談にうまく乗るために使うものではなかったのだと残念に思ったことがある。でもいま思うのは、マインドは確実に活きていて、大事な家族の話が聞けるようになったことはやっぱりよかったなということ。

私が大企業に勤めていた頃、少しでも安いものを買おうとする父母に正直嫌な感情があった。会社員を辞めて実家に住まわせてもらってから、これは他の誰かの話ではなく私の問題でもあるし、この国の問題なのだと思い直した。さらにこの状況で苦しさは増す。この国はどこに向かうのか、悲しくなる。

今日はおじいちゃんの誕生日。生きていたら94歳、最期の日のことがなかったとしても、おじいちゃんは今日にはいなかったかもしれないくらいに時間を経た。関係性の変わってきている私たち家族のなかに、おじいちゃんがいたらどう感じてくれただろう。今日のおじいちゃんにも会いたかった。話したい。

父とは政治観もジェンダー的な立場も合わないから、政治の話が始まると最後、嫌な雰囲気の結末しか見てこなかった。でも今日は電話での話で政治の話をして(電話も稀)、最後は険悪にならなかった。そう、私はお父さんとこうして気を使わない時間を持ちたかった。関係性が変わって嬉しいありがとう。

現実とは想像した範囲のものしか起きないと思いながら、でもこんなにもいい関係性になれる私たち家族というものを、私は想像したことがあっただろうかと思う。家族から嬉しそうな連絡が来るだけで、私はそこには駆けつけられないけれど、胸がいっぱいになるほどに嬉しい。嬉しい。