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真珠の耳飾りの少女

真珠の耳飾りの少女(2003)

妻の母、妻と11人の子供と暮らすフェルメール。
パトロンから依頼された絵を描くため、
アトリエにこもり、完成するまでは人を寄せ付けない。
その家に下働きとして雇われた少女グリート。
彼女は誰も寄り付かないアトリエに入る。
床を磨き、机をふき、窓ガラスを拭くのをためらう。
光の加減が変わってしまうから。
イスの位置をそっと変える。
カメラオブスキュラに興味を持つ。
画材を買いに行くようになり、顔料を砕き、色の調合をするようになる。
夫婦仲はいいが、絵画に理解を示さない妻。
金策のためパトロンに取り入る義母。
フェルメールは次第にグリートをあからさまに特別扱いする。

しかし、中世において使用人と主人の情事の果てには不幸しかない。
パトロンは彼女をモデルにした絵を描けという。
二人の距離は縮まる。
触れ合う手、同じ美への感覚。
彼は彼女に妻の真珠の耳飾をつけるよう命令する。
美への飽くなき追求。
彼女は片方だけの耳飾を手に、彼のアトリエに向かう。
妻がいない数時間に仕上げなくてはいけない。
青いターバンを巻く時に、垣間見えるあふれる髪。
彼の手で彼女の耳たぶに穴が開けられる。
流れ落ちる涙。震える手。
彼は何度も何度も唇をなめることを強要する。
軽く口を開き、一心に彼を見つめる少女。

アトリエに足を踏み入れようとしなかった妻が、
この絵を見つける。
彼女の眼差し、唇が何を物語るか、妻は一瞬にして悟る。
そして、真珠の耳飾。
彼女は嫉妬のあまり、絵を切り刻もうとする。
しかし、絵は守られる。
この絵は禁断の愛の証ではなく、もはや芸術なのだ。

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Yohannes Vermeer1632-1675
オランダデルフト出身。レンブラントと並び17世紀を代表する画家であるが、
現在彼の作品と認められるのは30数点しかない。

彼の作品はほとんどどれも小さい。
広い美術館ではうっかり見落としてしまいそうだ。
それぞれの絵にあった額に縁取られ、その作品たちは不思議な光に包まれている。
最初に見たのはルーブルの「レースを編む女」
何度も何度も通ううちに、必ず会いに行きたくなる絵になった。
神戸に来た「絵画芸術」は、大作だった。
アレゴリーの意図を推し量れないまま、彼の後姿をじっと見つめていた。
NY見たものでは「窓辺で水差しを持つ女」が好きになった。
11時までは見れないと知って、すごくやきもきした。
やっと会えた時、やっぱりその絵も不思議な光を放っていた。

なぜ彼の絵は人をひきつけるのか?
映画を見て、彼は本当に「絵を描く人」だったのだろうと思った。
彼が生涯を過ごしたデルフトの光と空気の中で、
貴賎も男女も問わない、人というものの中にある大切な何かが
追求された技法と感覚で、絵画という形で具現されている。

その純粋で端正な作家の想いが、見るものの心の奥にある
とても大切な部分と共鳴し、ほっとさせる。
だから何度も会いに行きたくなるのかもしれない。

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